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2010-02-14から1日間の記事一覧

【銅鐸の謎】 1 破壊されたミステリー

謎だらけの日本古代史にあって、とびきりミステリアスな歴史区分として、「銅鐸(どうたく)」を取り上げたいと思います。 砕かれた銅鐸見つかる! わが町日高町は、全国でも稀な打撃により粉々に破壊されて出土した「久田谷銅鐸」があります。 歴史研究家 …

10 実験『銅鐸を壊す』

[wc_box color="warning" text_align="left"] 実験『銅鐸を壊す』 [/wc_box] 兵庫県加古郡播磨町大中 銅鐸破壊実験見学のため、かねてから一度訪ねてみたいと思っていた兵庫県立考古博物館に行って来ました。 豊岡市から播磨町へは兵庫県(本州)の北端から…

9 銅鐸が姿を消してから古墳が築かれるまでの空白

[wc_box color="warning" text_align="left"] 銅鐸が姿を消してから古墳が築かれるまでの空白 [/wc_box]

7 銅鐸はどのように埋められたのか

[wc_box color="warning" text_align="left"] 銅鐸はどのように埋められたのか [/wc_box] 埋納状況 埋納状況については、村を外れた丘陵の麓、或いは頂上の少し下からの出土が大部分であり、深さ数十センチメートルの比較的浅い穴を掘って横たえた物が多いの…

6 銅鐸は何に使われたか

[wc_box color="warning" text_align="left"] 銅鐸は何に使われたか [/wc_box] 現在のところ用途は未だ定かではありませんが、第一に、銅鐸は日常の物ではないのです。つまり家庭用品ではありません。銅鐸は特殊なものであるということがまず大前提です。2…

5 銅鐸の形状と紋様

[wc_box color="warning" text_align="left"] 銅鐸の形状と紋様 [/wc_box] [catlist id=32]銅鐸のかたち 野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館) によりますと、銅鐸は、つり手「鈕」(ちゅう)とバケツをひっくり返したような「身」(み)、つり手から身にかけて張…

4 銅鐸とはいったいなんだろうか

[wc_box color="warning" text_align="left"] 銅鐸とはいったいなんだろうか [/wc_box] 前日本最多の銅鐸 加茂岩倉遺跡 次:銅鐸の形状と紋様 銅鐸(どうたく)とはいったいなんだろうか 銅鐸は神を招くカネといわれていますが、本来は楽器ではないかといわ…

3 日本最多の銅鐸 加茂岩倉遺跡

[wc_box color="warning" text_align="left"] 日本最多の銅鐸 加茂岩倉遺跡 [/wc_box] 平成8(1996)年10月14日、加茂町(現雲南市)岩倉で農道の法面工事のためパワーショベルで山の斜面を削っていたところ、大量の銅鐸の出土により加茂岩倉遺跡は発見され…

2 世紀の大発見!! 荒神谷遺跡

[wc_box color="warning" text_align="left"] 世紀の大発見!! 荒神谷遺跡 [/wc_box] 島根県出雲市斐川町神庭 昭和58(1983)年、広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い遺跡調査が行われた。調査員が田んぼのあぜ道で一片の土器(古墳時代の須恵器)を…

物部氏4/4 物部氏ゆかりの神社と日本統一へ

注連縄(しめなわ) 出雲大社 拝殿 神社の拝殿の軒や御神体には注連縄が張ってあります。神代の時代、天照大神が天の岩戸からお出になった後、岩戸に縄を張り再び中に入れぬようにした。この縄は「尻久米縄」と云われたと古事記に記され、しめなわの始まりと…

【もう一つの日本】 物部氏4/4 物部氏ゆかりの神社と日本統一へ

前:もう一つの日本(ひのもと) 次:破壊されたミステリー 銅鐸 注連縄(しめなわ) 出雲大社 拝殿 神社の拝殿の軒や御神体には注連縄が張ってあります。神代の時代、天照大神が天の岩戸からお出になった後、岩戸に縄を張り再び中に入れぬようにした。この…

【もう一つの日本】 物部氏4/4 物部氏ゆかりの神社と日本統一へ

前:もう一つの日本(ひのもと) 次:破壊されたミステリー 銅鐸 注連縄(しめなわ) 出雲大社 拝殿 神社の拝殿の軒や御神体には注連縄が張ってあります。神代の時代、天照大神が天の岩戸からお出になった後、岩戸に縄を張り再び中に入れぬようにした。この…

【もう一つの日本】物部氏3/4 もう一つの日本(ひのもと)

前:もう一つの東征 次:物部氏ゆかりの神社と日本統一へ 日本の名付け親 2世紀後半の北九州で起きた「倭国大乱」の頃には、すでに河内・大和を中心とした地域に勢力が確立していきました。生駒山周辺には、天磐船(あまのいわふね)の伝説が残る河南町や交…

【もう一つの日本】物部氏2/4 もう一つの東征 

前:統一奴国 次:もう一つの天孫降臨 『古事記』の神武東征 天皇家の初代カムヤマトイワレビコ(神武天皇)が日向(ヒムカ)を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでの日本神話の説話である。 『古事記』では、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ…

【もう一つの日本】物部氏1/4 もう一つの天孫降臨

前:もう一つの東征 次:もう一つの日本(ひのもと) 饒速日命(ニギハヤヒノミコト) ニギハヤヒは、それぞれの駐留地点を中心に、水稲の栽培を始め、麦・黍・栗などの栽培を拡めたといいます。 とするとよく似た話が徐福伝説です。つまり秦の始皇帝の圧政…

【出雲神政国家連合】 古代出雲6/6 西谷古墳群

前:日本神話のスサノオ 次:もう一つの天孫降臨 3号墳 四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)は、弥生時代中期から吉備・山陰・北陸の各地方で行われた墓制で、方形墳丘墓の四隅がヒトデのように飛び出した特異な形の大型墳丘墓で、その突…

【出雲神政国家連合】 古代出雲5/6 日本神話のスサノオ

前:古代出雲王国 次:西谷古墳群 ◇神話の比較 江戸時代までは官選の正史として記述された『日本書紀』の方が重要視され、『古事記』はあまり重視されていなかった。江戸中期以降、本居宣長の『古事記伝』など国学の発展によって、『日本書紀』よりも古く、…

【出雲神政国家連合】 古代出雲3/4 出雲神話 「国引き神話」

前:スサノオは「砂鉄」を採る男だった 次:古代出雲王国 出雲の「国引き神話」 その昔スサノオノミコト(素戔鳴尊)は、出雲の国を経営なされ、子孫も次第に増え、その御一門は非常に盛んになりました。ここに素戔鳴尊の四代の孫で八束水臣津野命(やつかみ…

【出雲神政国家連合】 古代出雲3/4 出雲神話 「国引き神話」

前:スサノオは「砂鉄」を採る男だった 次:古代出雲王国 出雲の「国引き神話」 その昔スサノオノミコト(素戔鳴尊)は、出雲の国を経営なされ、子孫も次第に増え、その御一門は非常に盛んになりました。ここに素戔鳴尊の四代の孫で八束水臣津野命(やつかみ…

【出雲神政国家連合】 古代出雲2/4 スサノオは「砂鉄」を採る男だった

スサノオは「砂鉄」を採る男だった また、早期から製鉄技術も発達しており、朝鮮半島の加耶(カヤ((任那(みまな))とも関係が深いという指摘もあります。記紀の1/3の記述は出雲のものであり、全国にある8割の神社は出雲系の神が祭られています。それは早期…

【出雲神政国家連合】 古代出雲2/4 スサノオは「砂鉄」を採る男だった

スサノオは「砂鉄」を採る男だった また、早期から製鉄技術も発達しており、朝鮮半島の加耶(カヤ((任那(みまな))とも関係が深いという指摘もあります。記紀の1/3の記述は出雲のものであり、全国にある8割の神社は出雲系の神が祭られています。それは早期…

【出雲神政国家連合】 古代出雲1/4 プレ魏志倭人伝 スサノオ

次:スサノオは「砂鉄」を採る男だった 放送大学客員教授・東京大学大学院教授 佐藤 信氏の『日本の古代』の冒頭を要約してみれば、 日本列島の古代史像は、近年大きな進展を見せている。その背景には、古代の遺跡についての考古学的な発掘調査の成果が積み…

【出雲神政国家連合】 古代出雲1/4 プレ魏志倭人伝 スサノオ

次:スサノオは「砂鉄」を採る男だった 放送大学客員教授・東京大学大学院教授 佐藤 信氏の『日本の古代』の冒頭を要約してみれば、 日本列島の古代史像は、近年大きな進展を見せている。その背景には、古代の遺跡についての考古学的な発掘調査の成果が積み…

【たじま昔ばなし】 おりゅう柳(養父市八鹿町九鹿)

むかしむかし、今の養父市高柳(やぶしたかやなぎ)の北の山に一本の大きな柳の木がありました。もう何百年もそこに立っているような、とても大きな木でした。 山の北側にある九鹿(くろく)には、おりゅうという近所でも評判のきれいな娘がいました。おりゅ…

【たじま昔ばなし】 粟鹿山 「大山」の地名伝説(朝来市山東町粟鹿)

遠い昔のことです。 但馬(たじま)の山東(さんとう)や和田山(わだやま)のあたりは、向こう岸が見えないほど広い湖でした。粟鹿山(あわがやま)や、まわりの高い山々も、その湖の上に頭を出した島でした。人々は、粟鹿山のことを、大山(おおやま)と呼…

【たじま昔ばなし】 妙見の臼 (養父市八鹿町妙見)

はるかに遠い昔。八鹿(ようか)の妙見山(みょうけんさん)に、妙見菩薩(みょうけんぼさつ)がお下りになったころのことです。 網場村(なんばむら)に森木三右衛門(もりきさんえもん)という人が住んでいました。三右衛門は妻と二人暮らしでしたが、信心…

【たじま昔ばなし】 難儀にあったお大師様(朝来市山東町楽音寺)

何百年か昔、楽音寺(がくおんじ)というお寺にどろぼうが入りました。「何か金目のものはないか」と探しているうちに、お祭りしてあった一尺二寸(四十センチほど)ばかりの金のお薬師様が目につきました。お薬師様は、病気を治してくれる仏様で、手には薬…

【たじま昔ばなし】 五社明神の国造り(豊岡市小田井)

大昔、まだ豊岡(とよおか)のあたりが、一面にどろの海だったころのことです。 人々は十分な土地がなくて、住むのにも耕すのにも困っていました。そのうえ悪いけものが多く、田畑をあらしたり、子供をおそったりするので、人々はたいへん苦しんでいました。…

【たじま昔ばなし】 鼻かけ地蔵(豊岡市楽々浦)

昔、但馬(たじま)の楽々浦(ささうら)の村に、貧しい漁師の男が住んでいました。毎日、楽々浦であみを打って働いていましたが、暮らしは少しも楽になりません。そんなある日、男の夢にお地蔵様があらわれて、こんなふうにおっしゃいました。 「私は、大水…

【たじま昔ばなし】 鼻かけ地蔵(豊岡市楽々浦)

昔、但馬(たじま)の楽々浦(ささうら)の村に、貧しい漁師の男が住んでいました。毎日、楽々浦であみを打って働いていましたが、暮らしは少しも楽になりません。そんなある日、男の夢にお地蔵様があらわれて、こんなふうにおっしゃいました。 「私は、大水…