但馬国ねっと風土記

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■歴史考

天日槍と糸井の阿流知命神社は無関係

式内糸井神社(奈良県磯城郡川西町結崎) 神社に関心を持ち始めて、分からないのが、糸井郷(今の朝来市和田山町糸井地区)である。 糸井造と池田古墳長持型石棺の主 (宿南保氏『但馬史研究』第31号 平成20年3月)での内容である。 歴史は史実の新発見…

天火明命 谿間に来たり

[wc_skillbar title=“天火明命 谿間に来たり” percentage=“100” color=“#e45e32”] [catlist id=589] 弘仁5年(814)-天延3年(975)にわたり、但馬国府の多数の国学者によって編纂された『国司文書・但馬故事記たじまこじき』は、第一巻・気多郡故事記か…

「瀬戸の岩戸」を切り開いた国造り伝承は縄文海進だった

[wc_skillbar title=“「瀬戸の岩戸」を切り開いた国造り伝承は縄文海進だった” percentage=“100” color=“#007bbb”] [catlist id=582] 黄沼前海(キノサキノウミ) 縄文時代の豊岡盆地 (Mutsu Nakanishi さんよりお借りしました) 天日槍(あめのひぼこ) 天…

丹波道主命と大丹波王国

[caption id=“attachment_134895” align=“alignnone” width=“259”] 地図:国土交通省[/caption] 但馬・丹後は、方言も山陰や若狭に近いが、兵庫県・京都府であり、関西(近畿)でもある。瀬戸内の山陽地方と中国山地を隔てて北にあるので山陰という。かとい…

祢布ヶ森但馬国府は条里制に収まっていた?!

20111.5.22 「第45回 但馬歴史後援会」但馬史研究会 「祢布ヶ森(ニョウガモリ)遺跡を考える」 但馬国府・国分寺館 前岡 孝彰氏 見つかった施設・遺構から、大型建物跡などが確認されている。かなり大きな役所跡だった。 また、全国的にみても多数の木簡が…

秦氏などの渡来人と日本の文化

秦氏については以前にも http://koujiyama.at.webry.info/201002/article_94.html などで触れたが、渡来人と日本の文化の発展について考えてみる。 ただし、ここでは渡来人とは歴史用語としては、4世紀から7世紀頃に、中国大陸及び朝鮮半島から日本に移住し…

渡来人の活躍が蘇我氏の成長をもたらした

関裕二氏は、『古代史謎解きの「キーパーソン50」』で、蘇我氏についてこう記している。 蘇我氏の業績 蘇我氏の全盛期は、蘇我馬子、蝦夷、入鹿の三代である。六世紀後半から七世紀前半にかけてのことだ。その基礎を築いたのは、馬子の父・稲目が娘たちを盛…

初代天皇と物部の関わり

『古代史の秘密を握る人たち: 封印された「歴史の闇」に迫る』 著者: 関裕二によると(一部改訂)、 『日本書紀』の記述に従えば、神武天皇は今から二千年(2600年)以上も前にヤマトにやってきて、一大王朝を築いたということになる。しかしそうなると…

【もう一つの日本】秦氏 日本の文化経済発展の先導者たち

「秦野エイト会 」さんのサイトとでなるほどと思った。というのはスサノオやニギハヤヒ、アメノヒボコも、天皇家の史書「記紀」の中で主役から遠ざかってるが、地名や神社に秦氏や漢氏に関するのではないかと感じられるものが散見し、物部氏系と秦氏の関係が…

楽々前(ささのくま)城と宵田城の落城

楽々前(ささのくま)城と宵田城の落城 天正八年(1580)、羽柴秀吉の但馬侵攻に際して、ときの城主垣屋峰信は織田勢に抗戦、敗れて討死したという。その後、秀吉政権下の有子山城主の支配化におかれ、 現在みられる縄張りはそのおりに改修されたものと考え…

塗り替えられた気多の歴史 気多神社

平成20年(2008)12月31日建立 新しい鳥居が建てられていました。 気多(氣多)神社[ケタ] 兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227 式内社 但馬國総社[*1] 郷社 気多大明神 御祭神 「大己貴命」 境内社には、八坂神社、須知神社、八幡神社、愛宕神社等が祭られてい…