但馬国ねっと風土記

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但馬国ねっとで風土記

専門家ではない視点からとらわれない最新の歴史から今を知る

日本文学概論 2/2

これは放送大学『日本文学概論』島内裕子 放送大学教授の授業科目をまとめたものです。 6 兼好と頓阿 1.文学の再構築 「誰でも書ける散文」のスタイルを提起した兼好 「誰でも詠める和歌」のスタイルを提起した頓阿 兼好 『徒然草』の著者。この二人は、藤…

日本文学概論 1/2

これは放送大学『日本文学概論』島内裕子 放送大学教授の授業科目をまとめたものです。 まえがき 日本文学は、千三百年以上にわたる長い射程を持つ。 絶え間なく変化するいつの世にも、文学は私達の姿を映す鏡である。 描かれてきた人々の思いは、まことに個…

筑紫紀行 巻九より 6 湯島にて

十二日晴。 神社仏閣を尋ねるべく参詣せんとて宿を出て町を西の方に行けば、町幅狭く町並みは悪しき。されど三階造りの大なる宿屋、或いは華好(きれい)なる小間物屋、及び麦わら細工の職人など多し。中の町に至れば四所明神の社あり。これは出石明神をうつ…

筑紫紀行 巻九より 5 城崎郡へ

豊岡までは川浅く水はやし。折々舟すわりて動かぬ事あれば。船頭川に立ち入て下す豊岡。(納屋村より是まで一里半)京極甲斐守殿(一万石)の御城下なり。 川舟の湊なり。出待ちという一箇所に橋あり。ここに茶屋多し。町は通筋二十丁余りもあり。海舟も北海…

筑紫紀行 巻九より 4 気多郡へ

ニ、三丁行けば(気多郡)岩中村。農家三、四十軒あり。引き続いて宵田町。(小田村よりここまで一里半) 上中下の三町あり。商家・宿屋・茶屋あり。町の中通に溝川あり。 引き続きて江原村。人家百四、五十軒。茶屋あり。商家多く酒造の家あり。 二丁ばかり…

筑紫紀行 巻九より 3 養父郡へ

十日晴れ。卯の刻過ぎに立ち出ず。 二丁行けば堀畑村。農家三十軒ばかりあり。五丁ばかり行けば西は出石領、東は御公領(天領)という領地境の表あり。 これより大川(円山川)の岸を通って二十丁ばかり行けば養父(やぶ)の宿。(高田より是まで二十五丁)…

筑紫紀行 巻九より 2 上粟賀村~竹田

九日晴、卯の刻頃に立ち出ず。 駅を離れて板橋を渡れば、上粟賀村。人家二百軒ばかり茶屋あり。出口に戸田川渡りて四十間余りの川あるを土橋より渡る。これより山道に入る。 入口はよし殿村。二十丁ばかりの間に一つの小農家まぶたにあり。その先は八百軒余…

筑紫紀行 巻九より 1 播但道を粟賀へ

筑紫紀行は、尾張の商人、菱屋平七(別名吉田重房)が、伯父の商家「菱屋」を継ぎ40歳で楽隠居となり江戸から九州まで広く旅を楽しんだ。この紀行は享和2年(1802)3月名古屋を出て京・大坂を経由して九州長崎を旅したときの記録である。当時の旅行…

4 平野釈放と寺田屋騒動

平野釈放 平野が釈放されたのは文久三年十月のことであった。釈放を延ばしていたのは、平野を釈放したくないのが本心であった、重臣たちはできることなら、その首をはねたいと思っていた。ただ、藩主不在中に実行することにはためらいがあった。黒田公は参勤…

但馬国司文書『但馬故事記』の考察

「国司文書・但馬故事記・別記」の訳註書『但馬故事記-但馬国司文書・』「古事大観録」「但馬神社系譜伝」「但馬郷名記抄」「世継記・秘鍵抄ほか」の訳註 吾郷清彦氏のコピーを同じく但馬史や神社に興味を持たれている知人からいただいた。 神社の由来・縁…

11 国臣の最後

平野次郎国臣の最後 沢卿一行は13日の夜から山中をさまよい続け、午前6時に白口(宍粟市一宮町)に辿り着き、地元民に銭を与えて間道を案内してもらい、峠を越えて美作路を使い三田尻に落ちた。 国臣は兵を解散して鳥取への脱出を図る。 十月十四日午前二…

5 生野本陣解散

生野本陣破陣 10月12日午後10時 解散 ●多田弥太郎 南らを説得できず、諦めた多田弥太郎は黒田興一郎と共に沢卿のいる生野の陣営に戻り、沢卿に但馬脱出を勧めた。各部署巡視の名目で逃走した沢卿のために、「軍備を整え再挙を謀らねば大和と同じ運命を見る」…

【転載】銅鏡は中央から下賜したものなのか?!

◆ハリマ大中トーク◆ -------------------------------- 石野博信館長が語る ハリマ大中トーク40 「正始元年銘鏡の背景-但馬・森尾古墳と日本海交易-」 資料はこちら↓ http://www.hyogo-koukohaku.jp/events/p6krdf0000002…

歴史の両側(2) 『占領政策と戦後処理問題』

占領政策と戦後処理問題 1952年(昭和27年)に締結されたサンフランシスコ講和条約により、GHQは廃止され、戦後処理は終了しました。ただし、この戦後処理はあくまで連合国側の戦後処理であって、日本国・日本人としての戦後処理は未だに決着していないとす…

20世紀の戦争と戦時国際法 学校で教えてくれなかった近現代史(54)

戦時国際法と戦争犯罪 人間は長い歴史の中で、国家や民族の利害の衝突から、絶え間なく戦争を繰り返してきました。そこで、戦争のやり方を国際的に取り決めたルールの制約のもとに置こうとする知恵が生まれました。このルールを戦時国際法といいます。1907年…

今ようやく本当の近現代史がうまれつつある 学校で教えてくれなかった近現代(53)

自虐史観と自由主義史観 自虐史観(じぎゃくしかん)とは、第二次世界大戦後の日本の歴史学界において主流であった歴史観を「自国の歴史の負の部分をことさら強調し、正の部分を過小評価する歴史観」であるとの評価を持たせて表現する場合に用いられる呼称で…

国際社会における日本の役割 学校で教えてくれなかった近現代史(52)

昭和から平成へ 1989(昭和64)年1月7日、昭和天皇が崩御されました。60年あまりにおよぶ、激動の昭和時代は幕を下ろしました。皇太子明仁親王が即位し、新しい元号は、平成と定められました。 国際社会における日本の役割 1990年8月、イラク軍が突然クウ…

共産主義の崩壊 学校で教えてくれなかった近現代史(51)

社会主義 社会主義とは、生産手段の社会的共有・管理などによって、平等な社会を実現しようとする思想・運動の総称です。狭義では、生産手段の社会的共有・管理を目指す共産主義、特にマルクス主義とその潮流を指します。日本では歴史的経緯により、この狭義…

米ソ冷戦下の世界と日本 学校で教えてくれなかった近現代史(50)

冷戦の進行 日本が独立を回復し、復興に努めているあいだ、米ソ両陣営の冷戦は激化していきました。両国は原子爆弾より大きな破壊力をもつ水素爆弾(水爆)の開発に成功し、核爆弾を搭載した大陸間弾道弾(ICBM)を設置して、相手国を直接破壊できる攻撃力を…

独立の回復 学校で教えてくれなかった近現代史(49)

国際連合と冷戦の開始 1945(昭和20)年10月、連合国は、2度の世界大戦への反省に立ち、新たな戦争を防ぐための国際組織として、国際連合(国連)を結成しました。しかし、戦争の芽はなくなりませんでした。東ヨーロッパを占領したソ連は、各国共産党の活動…

終戦をめぐる外交と日本の敗戦 学校で教えてくれなかった近現代史(47)

[youtube http://www.youtube.com/watch?v=Cx5Wyl8C8YI&hl=ja&fs=1&] 凛として愛(7/7) 『凛として愛』 靖国神社で会おう 空襲の被害 戦争末期、国民は直接、戦火にさらされることになりました。1944(昭和19)年7月、日本の委任統治領だったマリアナ諸島の…

大東亜戦争(太平洋戦争) 学校で教えてくれなかった近現代史(45)

ナチスドイツとヨーロッパの戦争 第一次世界大戦の敗戦国ドイツは、1933年ナチス党のヒトラーが政権の座につき、ゲルマン民族血統主義によるユダヤ人を迫害する一方で、武力による領土回復と拡張を進めました。ドイツはソ連と不可侵条約を結んだうえで、1939…

二・二六事件から日中戦争へ 学校で教えてくれなかった近現代史(42)

満州国 日本で満洲と呼ばれる地域は、満州国の建てられた地域全体を意識することが多く、おおよそ、中華人民共和国の「東北部」と呼ばれる、現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲でした。 この地域は、北と東はアムール川(…

共産主義とファシズムの台頭 学校で教えてくれなかった近現代史(40)

日米関係の推移 日露戦争後、日本は東アジアにおいて押しも押されもしない大国になりました。フィリピンを領有したアメリカの極東政策の競争相手は日本となりました。 他方、日米間では、日露戦争直後から人種差別問題がおこっていました。アメリカの西部諸…

列強の仲間入りをした日本 学校で教えてくれなかった近現代史(35) 

第一次世界大戦のはじまり 日露戦争後、ロシアは東アジアでの南下政策をあきらめ、再びヨーロッパへの進出を図りました。そのため、ヨーロッパの情勢は緊迫しました。 ドイツはすでに、オーストリア、イタリアと三国同盟を結んでいましたが、急速に海軍力を…

世界を変えた日露戦争 学校で教えてくれなかった近現代史(33)

日英同盟 三国干渉のあと、日本は同盟をロシアと結ぶかイギリスと結ぶかの選択を迫られ、政府の中でも意見が対立しました。 論争の焦点は、ロシアについての見方でした。ロシアは、1900(明治33)年に中国で起こった義和団事件を口実に、満州(中国東北部)…

日本統治時代の台湾 学校で教えてくれなかった近現代史(32)

日本の台湾統治 画像: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 1895年(明治28年)4月17日、日清戦争の敗戦に伴い下関条約の締結によって清朝が台湾を日本に割譲しました。統治初期は1895年5月から1915年の西来庵事件までを第1期と区分することがで…

日清戦争と三国干渉 学校で教えてくれなかった近現代史(31)

19世紀なかばから東アジア世界に西欧列強による脅威が迫ってきました。 アヘン戦争、清仏戦争(1884年 - 1885年)、日清戦争(1894年 - 1895年)、義和団の乱(19世紀末 - 20世紀初頭)といった事件が起こっていき、帝国主義列強に侵略されていくことになり…

近隣諸国との国境画定 学校で教えてくれなかった近現代史(25)

近隣諸国との国境は、どのようにして画定していったのでしょうか。 北方の領土画定 画像:『日本人の歴史教科書』自由社 明治維新を成し遂げ、近代国民国家の建設をめざす日本は、近隣諸国との間の国境を定める必要がありました。国境を画定しなければ、住民…

日本海軍誕生 学校で教えてくれなかった近現代史(14)

尊攘派の蹉跌 この頃、京都へ尊王攘夷派の志士が集い、「天誅」と称して反対派を暗殺するなど、治安が極端に悪化。尊攘派の擡頭により朝廷・幕府政治の混乱が起きていることを憂えた孝明天皇の意をくみ、中川宮朝彦親王は極秘に会津藩・薩摩藩に長州藩の追放…

開国と不平等条約 学校で教えてくれなかった近現代史(11)

ペリー来航 約200年にわたり平和と安定を楽しんでいた鎖国下の日本の門を叩いたのは、アメリカでした。1853(嘉永6)年6月、4隻の巨大な軍艦(黒船)が、江戸湾の入口に近い浦賀(神奈川県)の沖合に姿を現しました。軍艦には計100門近くの大砲が積まれて…

大航海時代の開幕 学校で教えてくれなかった近現代史(1)

社会科が唯一得意だった私でさえも、まったく明治以降はほとんど記憶がありません。 戦後、中学・高校の授業で日本近現代史は、三学期のためか、教員の恣意的なものなのかわかりませんが、ほとんど軽く扱われてしまいます。また、歴史の教科書が、年号と偉人…