但馬国ねっと風土記

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専門家ではない視点からとらわれない最新の歴史から今を知る

ジャンル-但馬の地名地誌

小田井県神社と酒垂神社の関係

城崎郡は、今の豊岡市が誕生する合併以前の、豊岡市と城崎町、竹野町、日高町、出石郡出石町、但東町であるが、明治29年(1896年)4月1日、郡制の施行のため、城崎郡・美含郡・気多郡の区域を改めて城崎郡が発足(美含郡・気多郡は消滅)した。城崎郡は、古…

旧日高町内に多い垣のつく区名

豊岡市日高町の旧日高町内には、頃垣、猪子垣、篠垣と◯◯垣という区名が多い。市内で区と呼んでいるのは、明治以前までの村名で、平安期に編纂された『但馬郷名記抄』によれば、他にも頃垣の近くには漆垣という村があった。また、芝も当時は柴垣、国府地区の…

豊岡の地名の由来

豊岡(とよおか) 「豊岡」は、羽柴秀吉による但馬占領後の1580年、当地を与えられた宮部善祥房継潤が「小田井」に入り、小高い丘(神武山)に築城し、城崎キノサキ(荘)を佳字・「豊岡」と改めたことが起源というが、山名氏の時代に既に「豊岡」の名称が存在したと…

鶴ヶ峰城と殿区とは

国道482号線久田谷付近と鶴ヶ峰(三方富士) 子供の頃から何か周りと違い神秘性を感じていた三角おにぎりみたいな山 国道482号線を神鍋かんなべ方面へ久田谷くただに付近まで進むと、前方にきれいな三角形の山がぽっかりと現れてくる。通称「三方富士…

市場の地名

「市場」について考察 ここで、別に東構区の西にある久斗区の小字名、「市場」に触れておきたい。気多郡の中心部を東西につなぐ西の下街道をはさんで宵田城の北構と南構が構築され、その街道上に市場があった。 既出の宿南保氏『但馬の中世』の「市場村と諸…

東構区の元となった小字北構は宵田城か祢布城どっちの構か?!

[caption id="attachment_134920" align="alignnone" width="582"] 宵田・祢布字限図[/caption] 豊岡市役所日高総合支所にて明治時代の字限図をいただいた。 当時の気多郡日高村祢布にょうと岩中の字限図を合成したが、市役所の担当の方もおっしゃっていたよ…

東構区と地名

私の生まれ育ち、現在も暮らす区は東構(ひがしかまえ)区という。大正12年に舂米(つきよねとも言うが、正確にはつくよね)神社を建立したとあるので、その数年前である。来年、平成27年(2015年)区創立百周年を迎えることとなる。 『ひがしかまえ区誌』に…

新温泉町の郷と地名

[郷名は、鎌倉以前の郷名として作成した。行政区名は現在の地名を使用] 現在の兵庫県美方郡新温泉町は、鳥取県と兵庫県の西の県境に位置する旧美方郡浜坂町と温泉町で、平成17年(2005年)10月1日に日本海に面する漁港で知られる浜坂町と夢千代日記の舞台と…

気多郡道場・久斗の市場

気多郡(今の豊岡市日高町)は但馬国の国府が置かれた場所で、日本後紀 ( にほんこうき ) 』延暦23(804)年正月の条に、「高田郷に遷す」という記述が残っており、気多郡のおそらく国府地区周辺から高田郷に移転したのは、袮布ガ森遺跡から多量の木簡などが…

城崎(きのさき)

『国司文書・但馬故事記』第四巻・城崎郡故事記 天火明命はこれより西して谿間に来たり。晴明宮に駐まり、豊岡原に降り、御田を開き、垂桶天物部命をして、真名井を掘り、御田に灌がしむ。すならちその秋八握に莫々然。真名井を名づけて御田井と云う。のち小…

養父(やぶ)・八鹿

桜井勉『校補 但馬考』には、 風土記曰く、古老伝え云う。この地その昔民家なくして竹藪(やぶ)のみ。故に藪と云う。今養父と云うはその訛りなり。この郡民家豊かにて、竹木多し。 この風土記とは『国司文書 但馬故事記』のことであろう。その第三巻・養父…

朝来(あさご)

『校補 但馬考』桜井勉 朝来郡(あさごぐん) この地に朝来山という名所あり。取りて郡の名とせり。俗には、この郡にいます粟鹿の神、国中の一宮ゆえ、諸の神たち、朝ことに来たりまみえ給う。故に、朝来郡と名づけしと云うは、臆説ならん。すべて郡郷名の名…

出石(いずし)

View 但馬の式内社 in a larger map 桜井勉『候補但馬考』 出石郡 風土記曰く、古老伝え云う「その昔、天下を治むる御神大穴持命、この郡に至りたまふ。地上に光あるを数夜なり。その光を尋ねて地を掘ること、数仞(スウジン)にして、白石を得る。故にこれ…

城崎郡城崎郷は今の豊岡市街地

『校補 但馬考』 城崎郡 倭名類聚抄に載する郷6 新田・城崎(キノサキ)・三江・奈佐・田結(タイフ)・餘部 「倭名抄(倭名類聚抄)」地理志料 京大文学部編 城埼郡 岐乃佐支(キノサキ) 承和九年紀に、但馬の城埼郡 海ノ神社が官社を預かる。(中略) 本…

気多郡狭沼郷(八代村)

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気多郡気多郷(国府村)

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気多郡太多郷(西気村・清滝村)

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【地名地誌】 十戸(じゅうご)と石井

十戸(じゅうご) 神鍋高原へ向かう国道482号は、かつては西気道といって、但馬国府から稲葉川上流まで西へ進み、蘇武峠を越えて村岡の山陰道に合流する近道として因幡へ抜ける重要な道であったようだ。 十戸には名神大 戸神社があり、その神戸から由来する…

【地名地誌】 日高村(気多郡日置郷・高田郷・高生郷)

より大きな地図で 但馬の式内社 を表示 『国司文書 但馬郷名記抄』 孝徳天皇大化2年、いわゆる大化改新による諸制度一新の詔勅に基づき、翌3年、本郡高田邑に兵庫を建て軍団を置く。 高田郷は高機郷なり。大初瀬幼武天皇(雄略)の御世十六年夏六月、秦の伴…

【地名地誌】 気多郡三方郷(三方村)

三方郷 倭名類聚抄(倭名抄) 訓:美加太 弘安大田文に、三方荘、田59町、熊野山領觀音寺の田9町。 但馬考に、今の三方荘は、芝・安良川(今の荒川)・猪子垣・廣井・殿・栗山・觀音寺・知見・三所の10邑(村は当時は邑と書く) 寛仁期に創建されたという觀…

【地名地誌】 高生郷の地下(じげ)

『国司文書別記 但馬郷名記抄 第一巻・気多郡郷名記抄』に、 古語は多可布(タカフ) 高生郷は、威田臣荒人(いだおみあらびと)の裔、威田臣高生在住の地なり。この故に高生と名づく。矢作部(ヤハギベ)・善威田(ヨヒダ)・善原(エバラ)・稲長(イナガ…

【地名地誌】 気多郡の由来について

兵庫県豊岡市日高町は、2005年(平成17年)、豊岡市周辺の城崎郡城崎町・竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併し、兵庫県で面積が一番大きい市となった。それまでは城崎郡日高町であった。さらに、1896年(明治29年)に郡の統合があり、美含郡と…

【地名地誌】 幻の地名 気多郡手邊(テナベ・タナベ・テヘン)

気多郡手邊(辺・てなべ・たなべ) 兵庫県豊岡市日高町の府市場・府中新の辺りは、府市場の人に聞くと、昭和30年代までは手辺(てへん)と言っていたそうだ。手辺は現在のどこに当たるのか? 府中新 府市場 (上)豊岡市日高町府中新・(下)〃府市場 ネット…

気多郷の行政区画の変遷

室埴村を調べに国府国分寺館に行き、気多郡地名についても資料をコピー(一部10円)してもらったのでかつてのブログを書き直してみた。 気多郡地図(日高町史より) 気多郡とは、但馬国(兵庫県北部(日本海側))にかつて存在した郡です。 古文漢文得意では…

気多郡高生郷とは

高生郷とは 高生郷(タカフ、たこう)とは、かつて但馬國氣多郡(現在の豊岡市日高町及び豊岡市中筋地区、佐野地区、竹野町椒地区)にあった郷名で私が生まれ住んでいる場所です。太田文には、村数は地下(じげ)、岩中、宵田、江原の4村とあります。 諸本…

【新説但馬史】 古代但馬の地名

歴史の手がかりになるものに「神社」と「地名」があると考えるようになった。しかしそれは、どうやら当然で間違っていないことが最近意を強めたのだ。歴史家の谷川健一氏は早くからそれに興味を持った人のひとりであったからだ。谷川氏は私に久田谷銅鐸と物…

古代但馬の地名

歴史の手がかりになるものに「神社」と「地名」があると考えるようになった。しかしそれは、どうやら当然で間違っていないことが最近意を強めたのだ。歴史家の谷川健一氏は早くからそれに興味を持った人のひとりであったからだ。谷川氏は私に久田谷銅鐸と物…

城崎(きのさき)という地名の由来

城崎(きのさき)の由来 『城崎町史』(1988年)は、豊岡市で出土した木簡に「絹前…」または「縄前…」とも読める文字があることから、「絹前」=キヌサキ説の可能性に触れている。また一節では、太古、海の入江だった豊岡盆地が紀元前二万年ごろから隆起と海…

古代山陰道と但馬・丹波

古代山陰道と但馬・丹波 図:国土交通省近畿地方整備局 近畿幹線道路調査事務所 律令制の時代、わが国は五畿七道(ごきしちどう)という地域区分をもち、現在の近畿地方を中心とした国づくりが行われていました。 ここでいう「道」とは、中国で用いられてい…

気多郡の地名

たじまる