但馬国ねっと風土記

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但馬の戦国武将

【但馬の歴史】(35) 但馬山名氏 その他の家臣

下津屋新三郎 山名四天王といわれる垣屋・太田垣・田結庄・八木氏などに比べると、一段と格が下がる武将です。しかし、垣屋・八木氏らが自立化を進めようとしている時、山名が本当に信頼していたのは、この下津屋級の武士団だったのではないかと思われる点が…

【但馬の城ものがたり】 長(ちょう)氏と林甫城(美方郡香美町香住区訓谷)

むかし、山名右衛門督祐豊(うえもんのかみすけとよ)が但馬国の守護として、出石城にいたとき、古い記録によると、天文九年(1540)、訓谷林甫城(りんぽうじょう)の城主は長越前守信行でした。香住郷の無南垣(むながい)のお城に、塩冶左右衛門尉(やん…

【但馬の城ものがたり】 八木氏流 田公氏(たきみし)と大谷城(美方郡香美町小代区)

家紋:木 瓜(日下部氏流) *日下部氏の代表紋として掲載。 田公氏の紋は不詳。 七美(しつみ・美方郡東部)村岡・城主。田公氏は但馬国の日下部氏族八木氏から別れた中世豪族で、その出自は、孝徳天皇の皇子表米親王の末裔が田公郷に土着して田公氏を名乗っ…

【但馬の歴史】(24) 日下部氏流(3) 八木氏

三つ盛木瓜/九曜 (日下部氏朝倉氏族 右:見聞諸家紋にみえる八木氏の横木瓜紋) 武家家伝 八木氏は、開化天皇の子孫とされる但馬の表米王から数代のち、古族日下部氏から出て養父郡朝倉庄に城を築いた朝倉高清の次男安高(一説に孫)が、但馬国養父郡八木を…

【但馬の歴史】(22) 日下部氏族(1)

但馬の古代豪族、日下部(くさかべ)氏 開化天皇の孫・狭穂彦王に始まる、但馬国造の日下部君の後裔。(『古事記』、『大日本史』) 孝徳天皇の孫・表米親王(日下部表米)に始まる、日下部宿禰の後裔。(『朝倉始末記』) 出石神社と並ぶ但馬国の一宮、粟鹿…

【但馬の歴史】(8) 山名氏(3) 応永の乱と山名氏後退

応永の乱(おうえいのらん)と山名氏後退 応永の乱(おうえいのらん)は、室町時代の応永6年(1399年)に、周防国・長門国・石見国の守護大名の大内義弘が室町幕府に対して反乱を起こして堺に篭城して滅ぼされた事件です。 室町幕府の将軍は有力守護大名の連…

【但馬の歴史】(7) 山名氏(2) 山名時氏 六分一殿

14世紀後半の主な守護大名 図: 『日本人の歴史教科書』 ■山名氏系図 山名氏 守護大名に成長 室町幕府は、地方の守護に、国内の荘園や公領の年貢の半分を取り立てる権限を与え、守護の力を強めて全国の武士をまとめようとしました。守護は荘園や公領を自分の…

【但馬の歴史】(6) 山名氏(1) 山名(やまな)氏の起源

二つ引両/桐に笹「武家列伝」さん 概 要 国府(国衙)・群家(郡衙)が権力を維持していた時代から、旧豪族であった武士が実権支配する守護大名の時代に入ります。荘園・公領に在住する民衆は、村落を形成し、自立を指向していきました。このような村落を惣…

【京都散策】 山名宗全ゆかりの西陣を訪ねる

西陣織会館の正面に西陣跡の石碑があります。応仁の乱で西軍の陣が張られた場所です。 現在は西陣という地名は存在しませんが、西陣織の地名となったゆかりの地です。 山名宗全邸跡 堀川通り西入に石碑が建っています。 石碑から西へ小路を行くと、宗全屋敷…