但馬国ねっと風土記

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平野国臣

4 平野釈放と寺田屋騒動

平野釈放 平野が釈放されたのは文久三年十月のことであった。釈放を延ばしていたのは、平野を釈放したくないのが本心であった、重臣たちはできることなら、その首をはねたいと思っていた。ただ、藩主不在中に実行することにはためらいがあった。黒田公は参勤…

11 国臣の最後

平野次郎国臣の最後 沢卿一行は13日の夜から山中をさまよい続け、午前6時に白口(宍粟市一宮町)に辿り着き、地元民に銭を与えて間道を案内してもらい、峠を越えて美作路を使い三田尻に落ちた。 国臣は兵を解散して鳥取への脱出を図る。 十月十四日午前二…

8 平野、長州に向かう

平野、長州に向かう 9月28日、平野、北垣三田尻に到着 平野と北垣は周防国三田尻に到着した平野と北垣は、招賢閣において同藩筑前藩士の藤四郎、堀六郎、出石藩士多田弥太郎らと七卿に会見。但馬の情勢を報告し、出馬の懇請をした。 9月29日 進藤俊三郎、池…

5 平野国臣 北垣晋太郎との出会い

国臣 北垣晋太郎との出会い 北垣晋太郎(のち国道・京都府3代知事・のち内務次官、北海道庁長官)は、養父郡能座村(養父市)の庄屋・北垣家の長男として天保7年(1836)8月に生まれた。父・三郎左衛門は、鳥取藩郷士で儒学を修めまわりの農民から信頼さ…

生野義挙 3/8 国臣投獄される

国臣投獄される 平野は『尊攘英断録』をもとに『回天管見策(回天三策)』を著し朝廷に献上したところ、孝明天皇のお目にとまり、平野に対して、おぼえめでたくなった。 文久二(1862)年春、福岡藩主黒田公が明石に到着、本陣に宿泊されることがわかった。…

生野義挙 2/8 国臣 黒船来航から西郷との出会い

平野次郎の生い立ち 平野次郎(1828~64)は、 文政11(1828)年、福岡地行下町(福岡市中央区)で福岡藩足軽・平野吉郎右衛門能栄の二男に生まれる。誕生地は現在今川一丁目となっており、二〇二号線に面し、平野神社が建つている。 父吉郎右衛門は千人もの…

生野義挙 平野国臣1/8 恋闕(れんけつ)第一等の人

「平野国臣」像 福岡市中央区西公園内 「生野義挙」は生野の変ともいう。 平野次郎国臣は、幕末三大義挙のひとつ、「生野義挙」の中枢人物である。福岡脱藩士 平野国臣は、攘夷派志士として奔走し、西郷隆盛ら薩摩藩士や久留米の勤王志士真木和泉、清河八郎…