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弥生時代以前から稲作はあった

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弥生時代以前から水田稲作はあった

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これまでの固定観念を覆す新たなる大発見

近年、日本海側の山口県から青森県に至る広域で、これまでの歴史学をひっくり返す新たな発見が起きている。青森の三内丸山遺跡の発見(1992)や、島根県雲南市の加茂岩倉遺跡(H8・1996)では、これまでの全国で見つかった総数を出雲一か所で上回るような大量の銅剣・銅鐸が見つかったり、鳥取県米子市淀江町伯耆妻木晩田遺跡群(H10・1998)は、発掘当初国内最大級と注目された吉野ヶ里遺跡を5倍も上回る規模とされ、また同じく鳥取県鳥取市青谷町では、因幡・青谷上寺地遺跡は弥生時代後期の100人分を超える人骨が見つかった。日本で初めて弥生人の脳が3人分発見され、また110点に殺傷痕が見られ、倭国騒乱のようすを示す大発見である。これまでの考古学の常識を覆す発見が相次いでいる。

縄文時代から弥生時代に変化し、弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島以外から北部九州に移住することによって始まった時代であるとされてきた。縄文晩期から日本民族によって水田稲作は始まっていたことがわかってきた。稲作=水田稲作という図式でいえば、縄文晩期を除けば弥生時代に始まったとされた定説が年代が縄文晩期に遡っただけと言えるかも知れない。しかし、稲作は水田稲作とするのは正しくない。アジアには、例えば焼き畑のように、水田ではない環境で栽培されているイネがいたるところにある。

縄文人山麓で原始的な狩猟採集をして、入江や海岸部では魚介類を食して暮らしていたと小中学校で教わってきた。ところが近年全国で見つかった新たな遺跡が、これまでの定説を覆していることは既に前項で述べてきた。

現在までに島根県や鹿児島県など全国で30ケ所を上回る縄文遺跡から、縄文前期(6,000~5,000年前)のプラントオパールによる稲作の痕跡がコンスタントに見つかってきていることから、日本の米作りは太古6千年前も縄文前期から途切れることなく現在まで連綿として続いていることがわかってきた。

日本には野生のイネがないことが、プラントオパール分析法んびよる稲作確定の根拠となっている。稲作を含む縄文農耕は、ほぼ確実な情勢となった。