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第2章 4.アメノヒボコとツヌガアラシトは同一人物なのか?

ヒボコと

若狭・越前のヒボコゆかりの神社

日本書紀』ヒボコは菟道河うぢがは(=宇治川)を遡り、近江国吾名邑あなのむら若狭国わかさのくにを経て但馬国住処すみかを定めた。若狭・越前にヒボコゆかりの神社がある。

越前国一宮 氣比(ケヒ)神宮

福井県敦賀市曙町11-68 越前国一宮、旧社格官幣大社別表神社 主祭神 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)「気比大神」または「御食津大神」とも称される。 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) …仲哀天皇の皇后

「イザサワケ」のうち「イザ」は誘い・促し、「サ」は神稲、「ワケ」は男子の敬称の意といわれる。そのほかの名称として、史書では「笥飯」「気比」「御食津」と記されるほか、『気比宮社記』では「保食神」とも記される。これらは、いずれも祭神が食物神としての性格を持つことを指す名称であり、敦賀が海産物朝貢地であったことを反映するといわれる。 一方、『日本書紀』に新羅王子の天日槍の神宝として見える「胆狭浅大刀(いささのたち)」との関連性の指摘があり、イザサワケを天日槍にあてて新羅由来と見る説もある。

気比神宮境内摂社 式内 角鹿神社

御祭神 都怒我阿羅斯等命つぬがあらしと のみこと・松尾大神

氣比神宮の摂社に鎮座する。ご祭神のツヌガアラシトをヒボコと同一視されることがある。

谷川健一氏『日本の神々』の「天日槍とその妻」の中で、朝鮮からの渡来人の中で、記紀に最も取り上げられているのは天日槍(天日矛)であろう。

ヒボコは『日本書紀』の記述によって、ツヌガアラシトと同一人物と目される。

筑前国風土記逸文に、「高麗の国の意呂山オロサンに、天より降りしヒボコの苗裔すえ、五十跡手イトテ是なり」とある。意呂山は朝鮮の蔚山ウルサンにある。意呂オロとは泉のこと意味するという。五十跡手は、『日本書紀』によれば、「伊都県主の祖」となっている。このようにヒボコの苗裔と称するものが、伊都国にいたという伝承は、ヒボコの上陸地が糸島半島であったことを物語る。

ツヌガアラシトはそれから日本海へ出て出雲から敦賀へと移動している。ヒボコは瀬戸内海を東遷したように思えるが、日本海から播磨の南部へ移動したという説もあって、その足跡を明瞭に辿ることは難しいが、ヒボコの妻の足取りは、ややはっきりしている。

古事記』にはヒボコの妻が夫といさかいしたあと、日本に逃げてきて、のちには難波なにはに留まり、比売碁曾ひめこそ神社(大阪市東成区)の阿加流比売神あかるひめのかみになったことを伝えている。

日本書紀』には、ツヌガアラシトの妻となっており、同じように日本にやってきてからは、難波の比売碁曾神社の神となり、また豊前国国前郡(大分県国東郡姫島(東国東郡姫島村))の比売語曾神社の神ともなって二か所に祀られている、と記されている。

福岡県糸島郡の前原町高祖たかすに高祖神社がある。もとは高磯たかそ神社と呼ばれ、ヒボコの妻を祀るとされていた。また大分県の姫島に比売語曾ひめこそ神祠(神のやしろ、ほこら)がある。先の『日本書紀』の記述に見える神社である。

式内 静志神社

福井県大飯郡おおい町父子46静志1 御祭神 「少名毘古名神」(すくなびこなのかみ) 天日槍命とする説もある

若狭国神名帳』に「正五位志津志明神」とある古社。鎮座地の父子(ちちし)は、静石の訛りで、但馬の出石と同じものだと考えられ、本来の祭神は、天日槍命とする説もある。

式内 須可麻(すかま)神社

福井県三方郡美浜町菅浜 御祭神 「世永大明神(菅竈由良度美姫)」「麻気大明神」 『古事記』によると、菅竈由良度美姫(すがかまゆらどみひめ)は天日矛神の子孫であり、 神功皇后の祖母、応神天皇の曾祖母にあたる姫。 敦賀地方は、天日矛一族の渡来気化地とする説があり、その子孫を祀った神社と考えられる。


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