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古事記 上巻「神話編」6 スサノオの追放

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)に命じられ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は高天原を、月読命(つくよみのみこと)は夜の世界を治めておりました

しかし建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)だけが、命令を無視して海原を治めようとしませんでした。 顎に鬚が生えて、しかもそれがいくつも塊になって胸に至るまで伸びるくらい長い間、激しく泣いていました。

その激しさはすさまじく、青々と緑に満ちていた山が枯山になり、川や海の水がことごとく枯れてしまうほどでした。 しかも、建速須佐之男命の鳴き声に反応して悪神の騒ぐ声が、まるで田植えの頃の蠅のように辺り一面に満ち溢れ、様々な物の怪達による被害が相次ぎました。

伊邪那岐神建速須佐之男命に 「どうして言われた通りに海原を治めず、泣いてばかりいるのか。」 と尋ねました。

建速須佐之男命は、 「僕は妣(はは)の国である根之堅洲国(ねのかたすくに)に行きたいと思っているのです。それで、泣いているのです。」 と答えました。

根之堅洲国は地底の片隅の国という意味ですが、これは黄泉の国を現しているという説がありますが、どこなのかは明確に分かってはいません。

建速須佐之男命の言葉を聞いて、伊邪那岐神は大変怒りました。

そして 「それならば、お前はこの国に住むな。」 と言って、建速須佐之男命を即刻追放致しました。

伊邪那岐神はその後、淡海(おうみ)の多賀(たが)に鎮座いたします。

淡海の多賀とは、一説には滋賀県犬上郡多賀町多賀の多賀大社のことだといわれています。 ですが日本書紀には「淡路の幽宮(かくれみや)」に鎮座したとあり、現在では淡海は淡路の誤記ではないかという説が有力です。

実際、兵庫県淡路市多賀には伊弉諾神宮があり、そこには伊邪那岐神の御陵(お墓)が現存しています。

国生み、神生みを終え、妻と別れ、沢山の神々と三柱の尊い神を出現させた後。 伊邪那岐神は最初に生んだ淡路島に鎮まり、そこで最期を迎えられたのだといわれています。

天地初発神々が出現し、沢山の神々が誕生した日本神話の草創期は、こうして終わります。

日本神話はこの後、天照大御神建速須佐之男命を中心として展開されてゆきます。 建速須佐之男命の子孫にあたる大国主神(おおくにぬしのかみ)による、日本の国作りと国譲り。 そして、初代天皇誕生へと続いていくのです。

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