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100年の夢、氷ノ山越え3

●氷ノ山越えと但馬鉄道計画
 またそれは別に大正初期に宮津から若桜までの当初の山陰本線最短ルートを実現させようと考えた、とんでもない人物が、「大正の大風呂敷」と言われた我が日高町(当時日高村)だった故藤本俊郎村長である。彼はすでに営業されていた出石軽便鉄道(現存せず)の株主の一人であり、さらに江原駅から村岡へ抜ける鉄道敷設を計画して、江原駅を東西南北を走る交通の要所にしたいという構想である。実際に近隣町村の猛反対にも遭いながら、国会議員の支援も取り付け、軽便鉄道敷設工事は日高町十戸あたりまで完成していく。また丹後山田から加悦まで鉄道は延びており、出石鉄道まで延長するという計画で、藤本村長は旗振り役となり自らも事業家として私財を投げ売り夢見た計画だった。ところが大正の世界的な大恐慌が始まると、敷設工事は不可能となり工事は頓挫してしまう。
 そしてその大ロマン但馬鉄道計画の面影を今に伝えているのが、京都府野田川町の北近畿丹後鉄道(旧JR宮津線)丹後山田駅を起点として、加悦町加悦までを走る野田川鉄道と、鳥取県郡家町こおげ駅を起点として若桜町わかさ駅を終点とする若桜鉄道(旧JR若桜線)である。
-参考 日高町史-

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