但馬国ねっと風土記

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たじまる あめのひぼこ 11

f:id:kojiyamane:20170110081544j:plain 歴史。その真実から何かを学び、成長していく。
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但馬に集中する兵主神

概 要

目 次

  1. 兵主(ひょうず)神社とは?
  2. 八幡神とは?
  3. 但馬に集中する兵主神
  4. 但馬に圧倒的に多い兵主神社の謎
   但馬国には、ヤマト政権が但馬を平定する以前から古い神社が存在していて、延喜式神名帳ではそれを否定はせず、あるいは政権側の祭神を配祀しているのでしょうか。但馬五社のうち、大国主以外の神社は天日槍(日矛)の出石神社のみですし、出石神社も古くは別の祭神であったとする説あるそうです。養父神社対岸にある水谷神社は、かつて大社であったとされるのにもかかわらず、どういう訳か但馬五社からはずされています。兵主神社(ひょうずじんじゃ)は、関西以西のしかも但馬国に集中しています。しかし、かつては同じ丹波國だった丹波・丹後には不思議と1社のみで、近江国但馬国に集中して多いのです [兵主神社一覧]


兵主(ひょうず)神社とは?

 兵主とは、「つわものぬし」と解釈され、八千矛神(ヤチホコノカミ=大国主神)を主祭神の神としています。

 古事記日本書紀では八千矛神とは大国主の別名です。スサノオの別名が八千矛神(多くの矛を持った神の意)である。葦原色許男神(あしはらしこのを) も大国主の別名で、「しこのを」は強い男の意で、武神としての性格を表す。矛(ほこ)は武力の象徴で、武神としての性格を表しています。これは神徳の高さを現すと説明されますが、元々別の神であった神々を統合したためともされます。但馬で別名のそれぞれの祭神を祀る神社を合わせると、最も多い神社です。田道間守や天日槍関係の神社を数える方が圧倒的に少ないのです。

 大国主は多くの別名を持っています。

出雲の大国主神でも触れましたが、大国主オオクニヌシ・オオナムヂ)は日本神話の中で、出雲神話に登場する神です。天の象徴である天照大神に対し、大地を象徴する地神格です。また、大国主は多くの別名を持っています。これは神徳の高さを現すと説明されますが、元々別の神であった神々を統合したためともされます。

</p><li>大国主神(オオクニヌシノカミ)=大國主 - 大国を治める帝王の意、あるいは、意宇国主。すなわち意宇(オウ=旧出雲国東部の地名)の国の主という説もあります。
</li><li>大穴牟遅神・大穴持命・大己貴命(オオナムチノミコト) -大国主の若い頃の名前
</li><li>大汝命(オオナムチノミコト)-『播磨国風土記』での呼称
</li><li>大名持神(オオナムチノミコト)
</li><li>八千矛神(ヤチホコノカミ) - 矛は武力の象徴で、武神としての性格を表す<br /></li><li>葦原醜男・葦原色許男神(アシハラシコノヲ) - 「シコノヲ」は強い男の意で、武神としての性格を表す
</li><li>大物主神(オオモノヌシ)
</li><li>大國魂大神(オホクニタマ)
</li><li>顕国玉神・宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)
</li><li>国作大己貴命(クニツクリオオナムチノミコト)・伊和大神(イワオホカミ)伊和神社主神-『播磨国風土記』での呼称
</li><li>所造天下大神(アメノシタツクラシシオホカミ) - 出雲国風土記における尊称<p>

 国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰され、また「大国」はダイコクとも読めることから、同じ音である大黒天(大黒様)と習合して民間信仰に浸透しています。子の事代主がえびすに習合していることから、大黒様とえびすは親子と言われるようになりました。

 記紀神話をみると、天孫降臨と東遷という神話を持つ氏族が二つあります。大王家と物部氏である。大王家の神話では、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日向に降臨し、それから四代後(その間に1,792,470余年が経過したという)磐余彦(いわれひこ)が大和へ東遷した。「神武紀」に明記されている物部氏の祖先伝承では、「祖先神の饒速日命(にぎはやひのみこと)が河内の河上の哮峯(いかるがのたけ)に降臨し、その後まもなく大和の鳥見の白庭山へ移った。」と記しています。哮は音読みで「コウ(カウ)」、訓読みで「たける、ほえる」、韓国語では「hyo」と発音します。兵主は哮神。

 国作大己貴命(くにつくりおほなむち)ですが、『播磨国風土記』では、その子が饒速日命(にぎはやひのみこと)とあります。

 兵主神は、もとは日本の神様ではなく、中国大陸の山東省の神様だそうです。延喜式神名帳で認められた式内社のみに現れる古社で、兵主神については色々と説があるそうですが、八千矛神(ヤチホコノカミ)だという説が有力です。延喜式神名帳には「兵主」と名の付く式内神社が18社記載されており、但馬各地に祀られた重要な神であったようです。

 但馬国は、出雲や若狭同様に太古から朝鮮半島との接触が深い国です。

 兵主神秦氏によって日本に持ち込まれたともいわれ、山東半島の近くの琅邪(ろうや)に八神が祀られているといいます。八神とは、天主(天の神)、地主(地の神)、兵主(武器の神)、陰主(陰を知る神)、陽主(陽を知る神)、月主(月の神)、日主(太陽の神)、四時主(四季の神)である。貝塚茂樹氏の『中国神話の起源』に「風を支配してきた蚩尤は、またふいご技術によって青銅兵器の製造を行った部族の代表者であり、この技術の発明者であり、古代においては神秘的なふいごの用法、青銅器鋳造の秘密を知っている巫師の祖先と仰がれる人物であった」とあり、兵主は蚩尤(しゆう)という名を持つ。山東半島朝鮮半島との関係が深く、120県の民を引き連れて応神朝に渡来してきた弓月君秦氏の祖)の先祖も、山東半島に居住していたのかも知れないです。徐福(じょふく)伝説とも関わりがあるように思えます。

大変多い八幡神社も、八神の秦氏が八幡となったと勝手に想像します。

 滋賀県野洲市の兵主大社のように、八千軍(やちぐさ)という呼称からきたと思われる「八千矛神」は、「矛」を介在して、ヒボコ(天日槍)の伝承が近江に残っていることとから関わりがあるように思いますが、ヒボコ八千矛の名称そのものが、オオナモチ(大己貴命)の別称であることは『日本書紀』に記されているので、葦原色許男神(葦原醜男)と称せられた大国主神であろう。(天日槍)がオオクニヌシと同一神でない限り、兵主神はヒボコではないように思います。しかし、但馬国を開拓した伝説は他の大己貴命を祀る但馬五社と共通しています。

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2.八幡神とは?

 ちなみに同じく武神である八幡神(はちまんしん、やはたのかみ、やわたのかみ)は、日本独自で信仰される神です。八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも言います。

 八幡神を祀る神社は八幡神社(八幡社・八幡宮若宮神社)と呼ばれ、その数は1万社とも2万社とも言われ、稲荷神社に次いで全国2位です。一方、岡田荘司氏らによれば、祭神で全国の神社を分類すれば、八幡信仰に分類される神社は、全国1位(7817社)であるといいます。

 祭神は、現在では、応神天皇を主神として、神功皇后比売神(ひめのかみ)を合わせて八幡神(八幡三神)ともしています。神功皇后応神天皇の母親であり、親子神(母子神)信仰に基づくものだといわれます。比売神(ひめのかみ)[*1]八幡神の妃神と説明されることも多いですが、その出自はよく分かっていないそうです。 八幡神社の総本社は大分県宇佐市宇佐神宮宇佐八幡宮)です。元々は宇佐地方一円にいた大神氏の氏神であったと考えられています。農耕神あるいは海の神とされますが、柳田國男氏は鍛冶(かじ)の神ではないかと考察しています。

 宇佐神宮は全国の八幡神社の総本社で八幡大神を祭っている。周辺の神社がほとんどスサノオやオオトシを祭っているのにその中心にある神社が別の人物を祭っているのはどうも解せない。八幡大神スサノオのことであると考えられる。宇佐の地は瀬戸内から九州への足がかりとなりうる地であり,スサノオ一族はこの地を拠点にして北九州地方を統一したものと考えられる。 諏訪の八剣神社を始め方々の神社にスサノオの別称であると記されている。

 東大寺の大仏を建造中の天平勝宝元年(749年)、宇佐八幡の禰宜の尼が上京して八幡神が大仏建造に協力しようと託宣したと伝えたと記録にあり、早くから仏教と習合していたことがわかります。天応元年(781年)には仏教保護の神として八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の神号が与えられました。これにより、全国の寺の守護神として八幡神が勧請されるようになり、八幡神が全国に広まることとなりました。後に、本地垂迹においては阿弥陀如来八幡神本地仏とされました。

 また、応神天皇八幡神であるとされていることから皇室の祖神ともされ、皇室から分かれた源氏も八幡神氏神としました。源頼義は、河内国壷井(大阪府羽曳野市壷井)に勧請し、壷井八幡宮河内源氏氏神とし、その子の源義家石清水八幡宮元服したことから、八幡太郎義家と呼ばれました。

 源頼朝鎌倉幕府を開くと、八幡神を鎌倉へ迎えて鶴岡八幡宮とし、御家人たちも武家の主護神として自分の領内に勧請しました。それ以降も、武神として多くの武将が崇敬しました。

 とくに関東・東北地方に多く、兵主神とは対照的に関西では多くありません。


[註] [*1]比売神(ひめのかみ)…主祭神と並んで比売神(比売大神)、比咩神などと書かれる。これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの。

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3.兵主大社(ひょうずたいしゃ)

名神大 旧県社
滋賀県野洲市五条566
御祭神:八千矛神
配祀 手名椎神 足名椎神

 正式名称は兵主神社であるが、普段は「兵主大社」を称している。

 式内社兵主神は、合計二十一座(十九社)にのぼりますが、名神大社大和国穴師坐兵主神社壱岐島壱岐郡兵主神社とこの兵主大社の三社であり、この近江の社の格式が最も高い。

社伝によると、兵主神は、景行天皇の御代、 皇子・稲背入彦命により大和国穴師(奈良県桜井市)に奉斎され、 近江国高穴穂宮への遷都に伴い、高穂の宮居近くの穴太(大津市坂本)に遷座。 その後、欽明天皇の御代に琵琶湖を渡り、現在の地に鎮座したという。
当社は、兵主十八郷(往古は五十四郷)の総鎮守社であり、 野洲(ヤズ)郡の中では、御上神社と当社のみが名神大社に指定されています。


 日本全国の神が、一ヶ月三十日間交代で仏教守護をおこなうという思想による三十柱の善神、三十番神の中にも、その名を見ることができる。 中世には、「兵主」を「つわものぬし」と読むことより、武士の厚い信仰を得た。中でも源頼朝足利尊氏による神宝の寄進・社殿造営があり、社宝として残されています。また、江戸時代には、徳川将軍家から社領の寄進を受け、厚い保護を受けました。

 これに対して兵主神社は、関西以西のしかも但馬国に集中しています。しかし、かつては同じ丹波國だった丹波・丹後には不思議と1社のみです。八幡社の式内社は皆無。関西で見ても岩清水八幡宮、近江國高嶋郡の八幡神社(祭神:譽田別命)のみです。

延喜式神名帳」記載の式内社兵主神社一覧 玄松子さんより
壱岐→山陰→兵庫→近江→三河畿内→大和への移動か?)
大和國城上郡奈良県桜井市穴師1065穴師坐兵主神社兵主神御食津神
大兵主神
若御魂神稲田姫命
名神大 月次相嘗新嘗・県社
和泉國和泉郡兵主神社
参河國賀茂郡兵主神社
近江國野洲滋賀県野洲市五条566兵主大社八千矛神名神大
近江國伊香郡兵主神社
丹波氷上郡兵主神社
但馬國朝來郡朝来市山東町柿坪兵主神社大己貴命式内社一説には、持統天皇4年(690)
但馬國養父郡朝来市和田山町寺内更杵村大兵主神社祭神不詳・十二柱神社式内社
但馬國養父郡豊岡市日高町浅倉兵主神社大己貴命式内社
但馬國氣多郡豊岡市日高町久斗久刀寸兵主神社素盞嗚尊、大己貴命旧村社
但馬國出石郡豊岡市奥野大生部兵主神社大己貴命式内社
但馬國出石郡豊岡市但東町薬王寺宮内大生部(おおいくべ)兵主神社武速素盞嗚命(たけすさのおのみこと) 配 武雷命式内社
但馬國城崎郡豊岡市山本字鶴ヶ城兵主神社須佐男神式内社天平18年(746)
但馬國城崎郡豊岡市赤石兵主神社二座須佐之男命式内社年代は不詳
但馬國美含郡兵主神社須佐之男命、建御雷神、伊波比主命式外社豊岡市竹野町芦谷小字芦谷155
但馬國美含郡兵主神社式外社須佐之男命、建御雷命、經津主命式外社美方郡香美町香住区隼人字宮前19-51
但馬國美含郡兵主神社須佐之男命、建御雷命、經津主命式外社美方郡香美町香住区九斗字九斗152-2
因幡國巨濃郡佐弥乃兵主神社
因幡國巨濃郡許野乃兵主神社
播磨國餝磨郡射楯兵主神社二座式内社
播磨國多可郡兵主神社
壹岐嶋壹岐郡兵主神社壱岐市芦辺町深江本村触1616素盞嗚尊 大己貴神 事代主神名神大



兵主神社一覧 平成祭礼CDから

  • 青森県むつ市大湊上町337 兵主神社伊弉諾命」
  • 千葉県東葛飾郡沼南町手賀1418 兵主八幡両神社「經津主命、譽田別命」
  • 福井県丹生郡清水町山内 兵主神
  • 滋賀県野洲郡中主町下提 下提神社
  • 京都市伏見区中島鳥羽離宮町 城南宮摂社兵主神社大國主命
  • 奈良市春日野町 春日大社摂社若宮社末社兵主社
  • 兵庫県姫路市辻井4-4-3  行矢射楯兵主神社「射楯大神、兵主大神」
  • 兵庫県姫路市飾磨区阿成 早川神社「兵主神
  • 兵庫県姫路市夢前町山之内戊549 兵主神社大國主命
  • 兵庫県西脇市黒田庄町岡字二ノ門 兵主神社「大穴貴命」
  • 兵庫県豊岡市竹野町芦谷小字芦谷155 兵主神社須佐之男命、建御雷神、伊波比主命」
  • 兵庫県美方郡香美町隼人字宮前195-1 兵主神社須佐之男命、建御雷命、經津主命」
  • 兵庫県美方郡香美町九斗字九斗152-2 兵主神社須佐之男命、建御雷命、經津主命」
  • 兵庫県美方郡浜坂町田井字村中448 兵主神社「?」
  • 兵庫県美方郡浜坂町指杭字御城338 兵主神社「?」
  • 兵庫県美方郡温泉町上岡 八幡神社摂社兵主神社「大己貴尊」
  • 兵庫県美方郡浜坂町久谷字宮谷 八幡神社摂社兵主神社「須佐ノ男命」
  • 兵庫県佐用郡佐用町奧海 奧海神社摂社兵主神社「大名持命」
  • 兵庫県姫路市安富町三森平谷 安志姫神社「安志姫命」
  • 島根県簸川郡斐川町大字学頭2830 兵主神社大國玉命
  • 岡山県岡山市阿津2783 兵主神社「素盞嗚命」
  • 鹿児島県揖宿郡頴娃町別府6827 射楯兵主神社「素盞嗚命、宇氣母知命
  • 鹿児島県姶良郡姶良町脇元1818 兵主神社素戔嗚尊
  • 兵庫県佐用郡佐用町奥海1281 奥海神社の兵主神社「大名持命」
  • 奈良市春日野町160 春日大社兵主神社大己貴命、奇稻田姫命」
  • 香川県大川郡大川町富田中114 富田神社の兵主神社大己貴命
  • 福岡県筑後市大字津島1117 村上社の兵主神社毘沙門天
  • 福岡県大川市大字北古賀字神前28 天満宮の兵主社「大己貴命神奈備にようこそ
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  • 4.但馬に多い兵主神社

    kutohyozu1

    久刀寸兵主神社[クトネヒヤウズ][くとすひょうず]

    式内社 旧村社
    但馬國気多郡 兵庫県豊岡市日高町久斗字クルビ491

    祭神:「素盞嗚尊、大己貴命

    御由緒:社伝によると、孝徳天皇大化三年(647年)、 気多郡の軍団に兵庫を設け、その鎮守として祀られたという。
    式内社・久刀寸兵主神社に比定されている古社で 中古以来鳴瀧大明神と称していました。

    f:id:kojiyamane:20170110101844j:plain  私の住んでいるすぐ隣の区にあります。但馬に兵主神社が多いですがこの社はとくに立派な神社です。

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     祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコト)と大己貴命とするものなど諸説あります。久斗には、石龍

     気多氏に由縁のあると思われる氏族が、気多郡団の軍司級といっていい地位にいました。後に高田氏を賜った川人部広井で、高田郷に由来する氏族。但馬に設置された地域軍団の名称が確実に判るのは養父団と気多団の二つだけで、気多広井という名前が気多団の幹部だったのではなかろうか?!

     この神社はその軍団と関係があってもいいはずだと考え、気多団はこの付近に設置され、兵庫(兵器庫)があった。-日高町史より抜粋

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    摂内社
  • ちなみに兵主大社のある野洲では、多数の銅鐸が出土しています。日高町も久刀寸兵主神社のすぐ近くで粉々に砕かれた全国でも珍しい銅鐸片が出土しています。天日槍と旧勢力との権力争いでしょうか。

  • 気多郡最大面積を占めるのは太田(太多)郷であり、久田谷はその太田郷の最東端であり、円山川からの気多国の玄関口であり細い谷間の久斗の要である。久田谷はケタ谷が訛ったのではないか。気多氏の本拠地である気多王の関所である可能性が高い。

  • 久斗とは久しく戦うという当て字だとすれば、アメノヒボコ天之日矛、天日槍)と気多氏の激戦地ではないか

     久刀寸兵主神社は、気多郡の中心を東西につなぐ重要な旧西気街道沿いの地形的にも気多氏を封じ込めるには最適のここしかない細長い谷間に位置し鎮座していて、境内も広く日高町でも大きな神社の一つであります。このあたりに但馬北部方面を統括する朝廷の命を賜った気多団がいました。(多分・・・)
     兵主神は、本来物部氏ゆかりの神社であり八千矛神とするなら、矛は当然物部氏も用いていました。それでは何故銅鐸だけが邪魔になったのであろうか?

  • 兵主神社

    f:id:kojiyamane:20170110101954j:plain但馬國養父郡 兵庫県豊岡市日高町浅倉202
    式内社 旧村社
    祭神:「大己貴命(オオナムチノミコト)」また、素盞嗚命とするものもあるらしい。
    創祀年代は不詳。

    f:id:kojiyamane:20170110102017j:plain 養父郡の式内社兵主神社に比定されている古社。棟札によると寛永九年、延宝六年、享保十四年に 本殿を造立し、文化十二年に覆屋を普請したらしい。

    f:id:kojiyamane:20170110102047j:plain
    かつての農村歌舞伎舞台?
     街道の気多郡と養父郡の境にあり、関所のような位置です。

    大生部兵主(おおいくべひょうず)神社

    f:id:kojiyamane:20170110102110j:plain 薬王寺の大生部兵主神社は「天王さん」と呼ばれ、牛馬の神様を祀る神社として古くから人々に親しまれてきました。いつ頃できたものかはっきりしていませんが、かつては県社として栄えた由緒ある神社です。 用命天皇の時代(585~587)、勅命を受けて三上山(京都・大江山)に棲む鬼の討伐にやって来た皇子・麻呂子親王が、牛頭天王に祈願したという伝説が残っています。このことから、それ以前に創立されたものと推測されます。また国司文書には、天武13年(684)に社を別の地に移して祀ったとあり、その前後に現在の地に移されたのだと考えられています。
    f:id:kojiyamane:20170110102200j:plain  境内には樹齢400年と推定されるご神木の杉の木があります。この木には、地上1~3mの間に23カ所の呪いの釘跡があります。この辺りの山は、昔、大江山とを結ぶ修験の道があったといわれ、山に入り帰らぬ男への恨みを女が釘に込めて、この杉に打ち込んだのだといいます。後に宮司がこの凄惨なありさまを見るのが恐ろしく、ノミで釘を抜き、周囲を修復したそうです。木には今でもその跡が残っています。
    f:id:kojiyamane:20170110102232j:plain 現在は 交通安全、家内安全、縁結びの神様として崇められており、毎年5月3日に豊作を祈願する春の大祭が行われています。大祭では地元の中学生が巫女の衣装をまとって、神楽「浦安の舞」を奉納します。続いて「練り込み太鼓」が披露され、笛や太鼓の音が辺りに響き渡ります。この日は餅まきなども行われ、神社は地元の人たちで賑わいをみせます。
    境内の銀杏の木の皮を煎じて飲めば、お乳の出が良くなるとのこと。
    春の大祭 5月3日(祝)牛の神様として親しまれてきた「天王さん」のまつり。

    大生部兵主(おおうべひょうず)神社

    但馬國出石郡 兵庫県豊岡市奥野1

    式内社 旧村社
    祭神:「大己貴命
    創祀年代は不詳。

    一説に、弘仁元年(810)、当地に兵庫を建て在庫の里と呼ばれて兵主の神を祀り、 兵主神社と称したという。

    後に、有庫兵主大明神とも称し、奥野と穴見市場の二村の産土神であったが、 中古、二村が分離したため、市場にもう一つの有庫神社を祀るようになった。 延暦二年(1674)本殿を改築、寛政三年(1791)火災により焼失したため再建された。

    穴見郷大生部兵主神社(あなみさとへぬしおおうべひょうず)が近くの兵庫県豊岡市三宅字大森47にもある。「穴見郷戸主 式内 大生部兵主神社」と刻まれた社号標が立っています。創祀年代は不詳。当社の社名が「穴見郷戸主大生部兵主神社」であることから 当社こそが、その穴見荘戸主大生部兵主神社であると主張しているのだろうか。

    穴見は半島南部の安羅(アラ)国の転化でしょう。

    兵主神社二座

    但馬國城崎郡 兵庫県豊岡市山本字鶴ヶ城100-1

    式内社 旧村社
    祭神:「速須佐男神」 合祀 「高淤伽美神」貴布祢大明神の神
    創祀年代:伝承によると、天平十八年(746)十二月、佐伯直岸麿によって創祀されたという。

    城崎郡式内社兵主神社二座に比定されている古社。城崎郡には他にも兵主神社という式内社があり その比定社は、当社の近くにあるため、両社はよく混同されるようだ。

    本社よりも貴布祢の方が有名なのか、当社のことを円山川一円では「キムネさん」と呼ぶらしい。 延喜式兵主神社二座とあることから兵主神社としての祭神は速須佐男神と、もう一柱が考えられますが、資料によっては、大己貴命であったり武甕槌神であったりと定まらない。

    赤石兵主神社

    f:id:kojiyamane:20170110102259j:plain 但馬國城崎郡 兵庫県豊岡市赤石字下谷1861

    祭神:「速須佐之男命
    創祀年代は不詳

    城崎郡式内社兵主神社に比定されている古社。城崎郡には他にも兵主神社二座という式内社がありその比定社は、当社の近くにあるため、両社はよく混同されるようだ。

    伝説として、白鳳十二年閏四月、韓國連久々比が兵庫(兵馬や武器の庫)の守護として 赤石の丘に祀ったという。

    兵主神社なので、祭神は武神なのだろうが 当社では速須佐之男命を祭神としています。 また、『式内社調査報告』には記載されていないが 扁額に「兵主神社住吉大明神」とあるので 住吉三神も配祀されているのだろう。

    久々比(ククヒ)とは、コウノトリの古名です。

    久々比神社があります。

     赤石は「玄武洞」という名所があります。

     国指定の天然記念物で、山陰海岸国立公園に含まれます。周囲と合わせ、玄武洞公園として整備されています。

     約160万年前に来日岳(標高566.6m 豊岡市城崎町)の噴火によって噴出されたマグマが冷却され、玄武岩塊が形成されました。約6,000年前に波の侵食により玄武岩塊がむき出しとなって、これを人々が採掘し今日見られる洞窟が形成されました。

     江戸時代後期の文化4年(1807年)幕府の儒学者・柴野栗山がここを訪れ伝説上の動物玄武の姿に見えることから「玄武洞」と名付けました。また、「玄武岩」の名称は、明治17年(1884年)東京大学の地質学者・小藤文次郎が岩石の日本名を制定する際に、玄武洞の名に因んで命名したものです。

     玄武岩の柱状節理・板状節理によって、洞窟内では亀甲状の天井や5~8角の石柱がみられます。 2007年、日本の地質百選に選定されました。

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    十六柱神社(更杵村大兵主神社)

    兵庫県朝来市和田山町林垣字門前1285
    不詳 一説に素盞嗚尊を十六柱明神とする

    御祭神 不詳 一説に素盞嗚尊を十六柱明神とする。

    鳥居には「十六柱明神」とあります。
    明治の神社改めの際に、更杵(さらきね)村大兵主神社が、社殿や境内の貧弱さから式外社とされてしまい、林垣の当社が更杵村大兵主神社として報告されたらしい。
    それはとこかく人々の信仰が篤いのが伺えるご立派な社殿です。

    f:id:kojiyamane:20170110102327j:plain
    拝殿と本殿
    更杵(さらきね)村大兵主神社

    兵庫県朝来市和田山町寺内字宮谷
    旧村社
    御祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと)

    『但馬郷名記』によると、持統天皇四年(690)、養父兵団の置かれていた更杵(さらきね)に兵主神を祀ったのが、当社の創祀。

    しかし、それ以前の天智天皇の御宇、養父郡の小領日下部都牟自(孝徳天皇第二皇子表米の嫡子)が 当社の祭典を盛大に催したという伝承もある。

    創祀年代は不詳だが、 一説には、寛永14年(1633)の創立という。 あるいは、これは当地へ遷座した時期なのかもしれない。 また、社地の変遷は無いという説もある。 結局、不明。
    祭神は大己貴命だが、異説として素盞嗚尊を祀るという。 また、常陸国鹿島からの勧請とする説もある。

    近世にいたり、更杵集落が衰退し当社は取り残されて荒廃していたが、 幕末の頃、当社の再建と移宮をめぐって寺内と林垣の対立があったが、 結局、現在地に遷座された。古社地は不明だが、かつての更杵集落は、 現在の和田山町室尾あたりであったという。

    「更杵」の名称は天日槍の岳父・前津耳の子孫である佐良公がこの地に住んでおり、佐良公村が更杵村となったという。空想的には新羅根(しらぎね)か祢が訛ったのではないかと思う。

    式内社・更杵村大兵主神社の論社の一つ。 明治の神社改めの際に、社殿や境内の貧弱さから 式外社とされてしまったという。

    式内社・大生部兵主神社の論社の一つ。

    柿坪兵主神社

    但馬國朝来郡 兵庫県朝来市山東町柿坪字棚田972

    祭神:「大己貴命
    式内社 旧村社
    創祀年代は不詳だが、一説には、寛永14年(1633)の創立という。天平9年(737)の『但馬國正税帳』には、「朝来郡押坂神」とある押坂神が当社だとも考えられている。

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    5.但馬に圧倒的に多い兵主神社の謎

       兵主神は、『史記封禅書』に見られる、「天主・地主・兵主・陽主・陰主・月主・日主・四時主」の一とされている武神。新羅に対する防衛線として、但馬に兵主神を配したという説もあります。

     新羅に対する防衛線として、但馬に兵主神を配したという説もあります。天日槍を祀る出石神社を取り囲むようにして重要路に祀られているように見えますが、郡境に土地の守り神として配祀されたのではないでしょうか。大己貴命大国主オオクニヌシ)と同一神ですので、出雲神話に登場する神です。天の象徴である天照大神に対し、大地を象徴する神格です。国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰されたので好んで祀られたのでしょう。

     大己貴命を祭神とする神社は他にもたくさんあります。でな何故但馬では好んで兵主と名づけたのでしょう。

    ■但馬の式内古社で大己貴命を祭神とする他の神社

  • 養父神社:創祀年代は不詳だが、社伝によると崇神天皇三十年(紀元前118年)の鎮座。
    祭神:倉稻魂命 大己貴命 少彦名命 谿羽道主命 船帆足尼命

  • 和奈美神社 大己貴命 天湯河板挙命 兵庫県養父市八鹿町下網場156
  • 小田井縣神社:創祀年代は不詳だが、第十代崇神天皇の御代(紀元前148年~紀元前29年1月9日)谿羽道主命が国作大己貴命及び天火明命を祀った。久刀寸兵主神社と同じ祭神。

    などと比較しても久刀寸兵主神社は、古い神社ということになります。

  • 石部神社 大己貴命 兵庫県朝来市山東町滝田字マリ559  創祀年代は不詳

  • 但馬國総社気多神社 大己貴命 兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227
  • 石部神社 天日方奇日方命

    大山積神 大己貴神 大物主神 事代主命御名方命彦根命 瀧津彦命
    兵庫県豊岡市出石町下谷62

  • 桑原神社 稻倉魂神 大己貴命 兵庫県豊岡市竹野町森本字苗原463-1

    -出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
    -出典: 「古代日本の歴史」「日本の古代」放送大学客員教授東京大学教授 佐藤 信

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