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【地方分権】 久しぶりに神戸新聞から道州制を考える

神戸新聞 正平調 2009/08/10  政権交代に注目が集まる次期衆院選で重要な争点の一つが、地方分権だ。都道府県を広域的に再編する道州制をめぐっての論議は、各党や知事会の意見も絡んで熱を帯びつつある。  その道州制のあり方を考えるうえで、参考になるのが兵庫県の生い立ちだ。旧5国(摂津、播磨、淡路、丹波、但馬)が合併したとされるが、実際には備前、美作の一部も含む。明治新政府はなぜこれほど大きな県をつくったのか。  地域経済アナリストで日本政策投資銀行参事役の藻谷(もたに)浩介さんによると、貿易港整備が狙いだったという。東の横浜に対し、西は水深があって大型船が入港できる神戸村の浜が選ばれた。国の財源が乏しいなか、プロジェクトを進めるには地域を統合して財力を高め、自前で調達する必要があった。豊かな農地を抱える播磨からの税収と但馬や丹波の絹織物。明治初期に播磨が納めた国税は摂津など他地域の合計を上回り、絹は最も有力な輸出品だった。  政府の計画は成功する。藻谷さんは「資源を持つ地域と輸出する港をセットにして活性化させる。兵庫は道州制の先駆けだ」と指摘する。その結果、神戸という個性的な都市が生まれ、京都と大阪しかなかった関西の面白みは格段に増したと。  国がレールを敷いた当時とは違い、今は地方主体の分権が求められる時代だ。1世紀たった今も多様な表情を持つ兵庫の姿の中に、貴重な教訓が眠っている。  さらに付け加えれば、現在の兵庫県になるまでに、数度の変遷がありました。 飾磨県(しかまけん)は、明治初期に、兵庫県姫路市を中心として存在した県。当初の名称は姫路県。1871年(明治4年)に飾磨県に。 1868年(慶応4年) 兵庫県 設置。兵庫港開港、管理運営等の為に兵庫県(摂津西部)を設置。初代知事に伊藤博文久美浜県(くみはまけん) 設置。旧5国(丹後、丹波、但馬、播磨、美作)。 1869年(明治2年) 生野県 、但馬(但馬南部)、播磨、美作3ヶ国を生野県として分離。  また、但馬南部の一部を篠山藩へ移管。 1871年(明治4年) 豊岡県 、旧3国(丹後、丹波、但馬)と生野県(但馬南部)が府県統合により豊岡県、生野県(美作)を岡山県に併合。丹波国域の桑田郡船井郡、何鹿郡を京都府に併合。 徳島県阿波国淡路国三原郡)と兵庫県のうち淡路国津名郡を合併して名東県が新設。 1876年(明治9年) 飾磨県(播磨)・豊岡県(但馬・丹波2郡)・名東県(淡路)を兵庫県に併合。ほぼ現在の範囲になる。当時の人口(約135万人)は、東京府大阪府をしのいで全国一だった。京都府に丹後五郡と丹波国域の天田郡併合。  そういう幾多の変遷から現在の兵庫県自体が旧5国の州ともいえます。そこが井戸知事が関西州に反対する所以かもわかりません。したがって、関西州となるとさらに広域ですので、あくまでも県は残した道州制がふさわしいと考えます。大阪・京都・神戸・奈良は国の都が置かれたり、何れ譲れぬところがありますから。(^_^;)県庁所在地は特色のある経済圏として、州とは政治機能のみの新都市に置くのが相応しいと思います。例えば候補地は国会図書館のある学園都市京田辺市辺りでしょうか。 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

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