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領土問題 『尖閣諸島』 歴史の両側(9) 

尖閣諸島

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画像:海上保安庁

  尖閣諸島は明治時代に正式に我が国の領土に編入されました。当時の政府は、明治18年以降再三にわたって尖閣諸島の現地調査を行い、単に無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいないことを慎重に確認したうえ、明治28年1月14日、現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行い、正式に我が国の領土に編入することとしました。明治29年頃には魚釣島や南小島ではかつお節や海鳥のはく製等の製造が行われており、魚釣島には、それに供した船着場や工場の跡が今も残っています。

 また、戦後は、サンフランシスコ平和条約に基づき、尖閣諸島は南西諸島の一部として米国の施政権下に置かれ、昭和47年5月、沖縄復帰とともに我が国に返還され現在に至っています。  以上の事実は、我が国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示しています。 しかし、昭和43年、日本、韓国及び台湾の海洋専門家が中心となり、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)*4の協力を得て東シナ海海底の学術調査を行った結果、東シナ海の大陸棚には豊富な石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘され、これが契機となって、にわかに関係諸国等の注目を集めるようになりました。

 台湾は、昭和46年4月、公式に領有権を主張し、平成11年2月には、同諸島を含んだ領海基線を公告しました。一方、中国も昭和46年12月から公式に領有権を主張し始め、平成4年2月には、尖閣諸島を中国の領土であると明記した「中華人民共和国領海及び接続水域に関する法律」を施行しました。

 さらに、平成8年7月に国連海洋法条約が我が国について発効し、排他的経済水域が設定されたことに伴い、同諸島周辺における漁業活動への影響が生じたことに対する不満や、北小島に日本の政治団体が簡易な灯台を設置したことに反発し、台湾・香港等で「保釣活動」と呼ばれる領有権主張の活動が活発となり、尖閣諸島周辺の領海に侵入するなどの大規模な領有権主張活動が行われるようになりました。

 平成14年4月、政府は、尖閣諸島を平穏かつ安定的な状態に維持するため、同諸島の魚釣島、南小島及び北小島の3島を同島の所有者から借り上げましたが、これに対しても、中国、台湾は激しく反発しました。

 近年、特に中国において新たな活動団体が台頭し、急激にその勢力を拡大、全国規模で尖閣諸島の領有権主張活動を展開しています。こうした背景の下、平成15年6月、中国本土からは初めて、中国人活動家の乗船した船が尖閣諸島の領海内に不法侵入する事案が発生しました。さらに、同年10月に1件、平成16年1月と3月に2件の同種事案が連続して発生しています。中でも、平成16年3月の事案では、警備の間隙を縫って中国人活動家7名が魚釣島に不法上陸するに至りました。

 海上保安庁では、平素から尖閣諸島周辺海域に常時巡視船艇を配備し、さらに定期的に航空機によるしょう戒を行うなど、警備に取り組んできたところです。しかしながら、平成16年3月の事案において、結果として不法上陸されるに至ったことを踏まえ、警備の体制や手法を強化するとともに、関係省庁とも密接に連携しながら、事前の情報収集を図り、万全な体制で厳正かつ適切な領海警備を行っていきま。 また、政府としては、以前から我が国の政治団体などに対して上陸しないよう指導を行ってきたところですが、上記上陸事案の発生を踏まえ、あらためて尖閣諸島への上陸禁止の意志を明確にしました。このような中、本年2月、魚釣島灯台の所有者(漁業関係者)からその所有権を放棄するとの意思が示され、同灯台民法の規定により国庫帰属財産となりました。

 現在の魚釣島灯台は、昭和63年に日本の政治団体が設置し、その後漁業関係者に譲渡されていましたが、この灯台は、設置以来長年が経過し、付近海域での漁ろう活動や船舶の航行安全に限定的とはいえ寄与しており、更に国が賃借している土地の上に設置されているという事情もあることから、魚釣島灯台の機能を引き続き維持するため、平成17年2月、政府全体の判断により、必要な知識、能力を有する海上保安庁が航路標識法に基づく所管航路標識として「魚釣島灯台」の保守・管理を行うこととしました。  海上保安庁では、魚釣島灯台の設置を航行警報により航行船舶に周知し、官報告示するとともに、海図へ記載したところであり、今後とも、この灯台を適正に維持管理していきます。

出典: 海上保安庁

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