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【丹国の歴史】(25) 彦坐王と谿羽(丹波)道主命

人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ ↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。 彦坐王・日子坐王(ひこいますのみこ・-おう) 彦坐王は、「記・紀」に伝えられる古墳時代の皇族(王族)。彦坐命、日子坐王、彦今簀命とも書きます。 開化天皇の第3皇子で、母は姥津命(ははつのみこと)の妹・姥津媛命(ははつひめのみこと)。崇神天皇の異母弟、景行天皇の曾祖父、神功皇后の高祖父にあたるとされます。『古事記』によると、王は崇神天皇の命を受け、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)という土蜘蛛退治のために丹波に派遣されたとあります。 妃は以下の通り4人記されています。 『稗史』[1]によれば、彦坐王は美濃を領地として、子の八瓜入日子王(やつりいりひこのおう)とともに治山治水開発に努めたとも伝えられていますが、その後裔氏族は美濃のみならず、常陸・甲斐・三河・伊勢・近江・息長氏・山城・河内・大和・但馬・播磨・丹波・吉備・若狭・因幡など広汎に分布しています。 時代は下りますが、戦国時代に大名となった越前朝倉氏は本姓日下部氏で、彦坐王の子である神功皇后の曽祖父・但馬国造の祖 山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)の子孫と称する但馬国造家の流れを汲んでいます。 大阪府堺市西区草部(くさべ)にある日部神社(くさべじんじゃ)の祭神で、日下部首氏はこの一帯を拠点としていた豪族で、一族には浦島太郎もいたといいます。この他、岐阜市岩田の伊波乃西神社でも祀られており、同社の近くには日子坐命の墓(宮内庁が管理)とされる巨岩があります。 彦坐王(日子坐命)の王子女は『古事記』に詳しいですが、なぜか『日本書紀』ではほとんど触れられていません。 妃:袁祁都比売命(おけつひめのみこと、彦姥津命の妹) 山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)神功皇后の曽祖父・但馬国造日下部氏の祖 比古意須王(ひこおすのみこ) 伊理泥王(いりねのみこ) 妃:沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ。春日建国勝戸売の女) 狭穂彦王(さほびこのみこ、沙本毘古王・沢道彦命?) 甲斐国造の祖 袁邪本王(おざほのみこ) 狭穂姫命(さほびめのみこ、沙本毘売之命・佐波遅比売) 垂仁天皇の皇后 (前) 室毘古王(むろびこのみこ) 妃:息長水依比売(おきながのみずよりひめ。天之御影神の女) 丹波道主王(たにわのみちぬしのみこ、旦波比古多多須美知能宇斯王) 日葉酢媛命(垂仁天皇の皇后(後)・景行天皇の母)の父・三河穂別の祖 水穂之真若王 (みずほのまわかのみこ) 近淡海安直の祖 神大根王(かむのおおねのみこ、神骨・八瓜入日子王) 本巣国造・三野前国造の祖 水穂五百依比売(みずほのいおよりひめ) 御井津比売(みいつひめ) 妃:山代之荏名津比売 (やましろのえなつひめ) 大俣王(おおまたのみこ) 品遅部君の祖 小俣王(おまたのみこ) 志夫美宿禰王(しぶみのすくねのみこ) [1]…「正史」の対語。民間の細々としたことを記録したもの。野史。 四道将軍(シドウショウグン日本書紀』に登場する皇族(王族)の将軍で、大彦命(オオビコノミコト)、武渟川別命(タケヌカワワケノミコト)、吉備津彦命(キビツノミコト)、谿羽(丹波)道主命(タニワミチヌシノミコト)の4人を指します。 彼らの遠征により諸国は大和朝廷に服属したとされています。 『日本書紀』によると、崇神天皇10年(紀元前88年?)にそれぞれ、都に近い、北陸、東海、西道、丹波に派遣されました。教えを受けない者があれば兵を挙げて伐つようにと将軍の印綬を授けられ、翌崇神天皇11年(紀元前87年?)地方の敵を帰順させて凱旋したとされています(実際には4世紀初めのことと思われる)。 なお『古事記』では、4人をそれぞれ個別に記載した記事は存在しますが、一括して取り扱ってはおらず、四道将軍の呼称も記載されていません。また、吉備津彦命の名前もない(別名は記載されています。)。 また、『常陸国風土記』では武渟川別が、『丹後国風土記』では丹波道主命の父である彦坐王が記述されています。 大彦命は、孝元天皇の第1皇子で、母は皇后・鬱色謎命(うつしこめのみこと)。開化天皇の同母兄で、娘は崇神天皇皇后の御間城姫命(みまきひめのみこと)、垂仁天皇の外祖父に当たる。北陸道を主に制圧した。舟津神社(福井県鯖江市)、敢国神社(三重県伊賀市)、伊佐須美神社福島県会津美里町)、古四王神社(秋田県秋田市)等に祀られている。 武渟川別は、大彦命の子。阿倍朝臣等の祖と伝えられる。東海に派遣される。津神社(岐阜県岐阜市)、健田須賀神社茨城県結城市)等に祀られている。 また『古事記』によれば、北陸道を平定した大彦命と、東海道を平定した武渟川別建沼河別命)が合流した場所が会津であるとされている。(会津の地名由来説話)。このときの両者の行軍経路を阿賀野川大彦命)と鬼怒川(武渟川別)と推察する見解が哲学者の中路正恒から出されている。また、天皇の命により吉備津彦と共に出雲振根を誅した。 吉備津彦は、孝霊天皇の皇子で、母は倭国香媛(やまとのくにかひめ)。別名は五十狭芹彦(いさせりひこ)。吉備国を平定したために吉備津彦を名乗ったと考えられているが、古事記には吉備津彦の名は出てこない。一説にはこの時の逸話(温羅伝説)が桃太郎のモデルの一つであったとも言われている。吉備津神社岡山県岡山市)、田村神社香川県高松市)等に祀られている。 引用:ウィキペディア 四道将軍 丹波道主王命たにわのみちのうしのみこと) 丹波道主王命(生没年不詳)は、『記紀』における皇族(王族)です。『日本書紀』では谿羽(丹波)道主王命、『古事記』では旦波比古多多須美知能宇斯王。四道将軍のひとりで、丹波に派遣されたとされる。『古事記』では開化天皇の第三皇子、または孫に当たる。彦坐王(ひこいますのみこ・日子坐王とも書く)の子。景行天皇の外祖父に当たります。 なお、『古事記』では丹波道主命ではなく、父の彦坐王丹波に派遣されたとあります。母は天之御影神の女・息長水依比売娘(おきながのみずよりひめ)。 同母兄弟に、水穂之真若王(近淡海安直の祖)、神大根王(本巣国造・三野前国造の祖)、水穂五百依比売、御井津比売がいる。 一説に彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと、開化天皇の子)の子。 妻は、丹波之河上之摩須郎女(たんばのかわかみのますのいらつめ)。 子は日葉酢媛命(ひばすひめ)(垂仁天皇皇后)、渟葉田瓊入媛(同妃)、真砥野媛(同妃)、薊瓊入媛(同妃)、竹野媛、朝廷別王(三川穂別の祖)。記には他に歌凝比売命。 また、日子坐王は一説によると「大江山の鬼退治伝説」のモデル一つであったとも言われています。 神谷神社(京都府京丹後市)等丹国一円(丹後・但馬・丹波)に祀られています。 彦坐王丹波道主命ゆかりの神社 ・神谷(かみたに)神社 京都府京丹後市久美浜町小谷 旧郷社 御祭神:丹波道主命 網野神社 京都府京丹後市網野町網野789 式内社 祭神:日子坐王、住吉大神、浦嶋子神 竹野神社 京丹後市丹後町宮字宮ノ谷245 式内大社 祭神:天照皇大神 相  殿  竹野媛命、建豐波豆羅和氣命、日子坐王命 彌伽宜(みかげ)神社(大森神社) 舞鶴市字森 開創は丹波道主命(たにわみちぬしのみこと)で、祭神は、その母の 息長水依比賣(おきながみずよりひめ)の先祖である 天御影命(あめのみかげのみこと)。 同神は「古代製鉄」の神で、御上(みかみ)神社(滋賀県野洲町)の神と同じです。 鬼嶽稲荷神社 京都府福知山市大江町字北原 丹波道主命が、父、日子坐王の旧蹟に神祠を建立した。 若宮神社 南丹市園部町横田 御祭神は品陀別命 丹波道主命の后神を祀つたのが始まりと伝へる。 小幡神社 亀岡市曽我部町穴太宮垣内 式内社 祭神:開化天皇(かいかてんのう)、彦坐王(ひこいますのみこ)(開化天皇の皇子)、小俣王(おまたのみこ)(彦坐王の子) 紀元前90年(皇紀570年)頃 崇神天皇の勅命により、丹波地域を治めた四道将軍の一人 丹波道主命が、開化天皇を祀ったことが由来  開化天皇の皇子の彦坐王と、その御子 小俣王の三代が祀られています。 粟鹿(あわが)神社 兵庫県朝来市山東町粟鹿2152 式内社 御祭神 彦火々出見命あるいは日子坐王との説もある 夜夫坐神社5座 兵庫県養父市養父町養父市場字宮ノ谷827-3 「倉稻魂尊、大己貴命尊、少彦名尊、谿羽道主命、船帆足尼命」 出石(いずし)神社 兵庫県豊岡市出石町宮内字芝地99 式内社 御祭神 天日槍命 谿羽(丹波)道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀った。 丹波道主命(たにわのみちのうしのみこと)と神谷太刀宮 画像 式内社 丹後國熊野郡 神谷(かみたに)神社 京都府京丹後市久美浜町小谷 旧郷社 御祭神:丹波道主命 配祀 八千矛神(ヤチホコノミコト) 天神玉命(アマノカムタマノミコト) 天種子命(アマノタネコノミコト) 京都府久美浜の地名は、丹波道主命の伺帯した「国剣」から「国見」「久美」となり「くみのみなと」「くみの見谷」「くみの浜」など久美浜の地名の起源になったと言われる。 崇神天皇十年九月、四道将軍丹波道主命が勅命を受けて山陰地方を巡視された時、 武運長久を祈願して、久美浜の地に社地を定めて 出雲国八千矛神・天神玉命・天種子命を祀ったのが当社の創祀。 もとは、神谷小字明神谷に祀られていたが中世の頃、戦乱にため社屋が破壊されたので現在地の太刀宮に合祀されました。太刀宮(たちのみや)は、丹波道主命薨去の後、命を追慕して創建された神社。 御由緒 当社は崇神天皇十年秋九月、四道将軍旦波道主命、出雲国なる八千矛神を迦へ奉りて、字神谷の地に齋き祀られしを始とす。 垂仁天皇の代道主命薨去後国人同命を追慕し、久美の地を卜して神社を創建し、佩かせ給ひし国見剱を神霊として此処に齋き祀る。 世呼んで太刀宮と称す。古来久美は国見の假字也といひ、国見は宝剣より超れる名称也と言ひ伝ふ。 期の如く神谷神社と太刀宮とは、全く別社なりし事は、神社覈録丹哥府志丹後旧事記等に記せるが如し。 而して創立後壹干年間に於て、神谷神社の大破に及ふや、之を太刀宮に合祀せしは、遠く延喜以前に属す。 爾来一般には神谷太刀宮又は省賂して単に太刀宮と唱ふ。奉額神宝祭器等に神谷太刀宮とあるは、両社合併の古を物語れるなり。 古文書等は省略せる通称に做ひ、太刀宮を以て称するを例とし、現今一般にも太刀宮と唱ふ。 諸書記述せる処大同小異なりと雖も、多くは実地史実の片影を誤れり。太刀宮は道主命を祭神とせるものなれど、 神谷神社と太刀宮とを合併せる以来、八千矛神と旦波道主命との事歴を混同せるは、甚た遺憾とする処なり。 神祇志に大巳貴命刀を奪ひ巨巖を割断せられたりといへるは、太刀宮即ち旦波道主命の事歴にして、 現社地中剣岩として特に保存し、古來清浄の地となせる処あり、これ実物を以て保存せる一の伝説記念物と見るべき乎、 同社の例祭に字奥馬地より大根を奉るは、剣岩の伝説より起れる事柄なり(右の伝説等は神谷神社考に委曲を述べる)。  神谷神社の旧社地なりと言へるは、久美谷村字神谷(かんだに)小字明神谷にして今尚存す、右等の関係上毎歳字神谷より特に幟を建つるを例とせり。 ≪京都府熊野郡誌より抜粋≫ 拝殿 冬季のためシートがかけられています。  通称「神谷太刀宮」「太刀宮」と称し延喜式神名帳に記される神社です。現在の本殿は天明元年(1781)に建てられました。桁行き 二間 入母屋造りの桧皮葺の出雲地方に多い大社造の系統をひく建物であり、彫刻も精巧なものとなっており「太刀宮造」と称され この地方では例のない神社建築です。神門も切妻造の四脚門で格天井を張るなど意匠に優れ、 境内社八幡神社本殿も 小規模なこけら葺、一間社流造で孔雀の彫刻を施すなど装飾豊かな建物です。 画像 磐座 丹波道主命は、丹波河上摩須郎女をめとり、五子を授かる。その娘の 日葉酢媛は第十一代垂仁天皇の皇后となる。神谷神社は 旧郷社であり、社蔵文書によると文禄五年(一五九六)城主 松井康之から用地寄進を受けていることがわかります。 もともと同じ境内だった真ん中を道路建設によって寸断されてますが、もともと磐座や中剣岩、摂社がある山が聖域。 画像 八幡社 神谷神社本殿 京都府指定文化財 昭和六十年指定 神谷神社神門 京都府登録文化財 昭和六十年登録 八幡神社本殿 京都府登録文化財 昭和六十年登録 鳥居 京都府登録文化財 昭和六十年登録 参考館(旧久美浜県庁舎玄関の一部) 京都府指定文化財 昭和六十年指定 文化財環境保全地区 京都府指定文化財 昭和六十年指定 同じく熊野郡式内社・村岳(むらおか)神社の神は、 この太刀宮の神(丹波道主命)の臣下で、神谷神社の社地選定を命じられたという。 ところが、村岳の神は良地を秘して別の地(当社の元地)を上申した。 このことが露見し、怒った太刀宮の神は剣を抜いて村岳の神を追った。 大石に隠れた村岳の神を斬ろうとしたが 誤って大石を断ち割った。 怖れた村岳の神は、大根を下物として和睦の宴を開き和解した。 よって、以後、太刀宮(当社)の例祭には 奥馬地部落より大根が奉納されているという。 似たような伝承が、丹後の隣り、但馬(豊岡市)の葦田(あした)神社にも残っています。 話の筋は同じだが、葦田神社の神が騙したのは天日槍であり、 石だけでなく、葦田神社の神の足も傷つけられています。 八千矛神が祭神として祀られており、途中で丹波道主命主祭神に替えられたような由来は粟鹿神社や出石神社にも共通していて面白いです。 関裕二氏は、四道将軍が各地を平定し凱旋して、崇神天皇はハツクニシラス(はじめて国を治めた)天皇と称賛している。『古事記』にしたがえば、崇神天皇四道将軍の説話が、まったくの作り話とするこれまでの定説を疑わざるを得ないのである。そればかりか、神武天皇崇神天皇、二人のハツクニシラス天皇の業績を合わせれば、そのまま「ヤマト建国の考古学」を裏付けてしまうわkである。 こうしてみると、神話とヤマト建国の考古学の大きな食い違いは「強い天皇がヤマトを征服した」という一点であったことに気づかされる。とするならば、八世紀の朝廷はヤマト建国の歴史を熟知していたからこそ、ヤマト建国を神話の世界に封印し、しかもそれを「征服劇」に仕立て上げてしまう必要があったのではあるまいか。もし仮に、この逆転した発想を投げかけてみれば、事態は意外な方向に進むのである。 人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ ↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。