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箕谷(みいだに)古墳群 (養父市八鹿町)

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f:id:kojiyamane:20170109152155j:plain 兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷 国指定史跡・天然記念物

国指定重要文化財 戊辰年銘大刀 7世紀前半(630年ごろ) この当時、但馬を支配した国造の古墳と考えられるのは、約4km東南にある養父市の大薮古墳群で、箕谷古墳群の埋葬者も彼ら但馬支配に貢献した一族と考えられています。

昭和58年(1983)度から59年度にかけて、公園整備のため行われた箕谷古墳群の発掘調査により、須恵器、金環3点、鉄鏃・馬具等の鉄製品、鉄刀など103点の遺物が出土しました。八木川下流域左岸の谷奥に立地し、2号墳は東西12m、南北14mの円墳であり、長さ8.6m、幅1.2m、高さ1.7mの横穴式石室。出土した須恵器により、6世紀末から7世紀初旬に築造されたと考えられており、出土状況から2回以上の追葬が行われたとみられています。3号墳は3段の列石を巡らせた円墳で兵庫県下でもこれだけです。2、3、4号墳(直径7mの円墳)、5号墳(直径6mの円墳)の4基の古墳が現地保存され、平成4年(1992)12月18日に「箕谷古墳群」として国の史跡の指定を受けています。石室はすべて谷の入り口方向である南に開口するよう規則的に造られています。そして2・3・4・5号墳と順次標高の低い方から高い方へ築かれています。時期が新しくなるにつれて墳丘・石室が小規模化しているのが特色で、この時期の古墳の変遷過程をよく示しています。

なかでも全国2例目の年号入り鉄刀が出土したことで知られています。出土した鉄刀(刀身68.8cm、推定長77cm前後の圭頭系大刀)を奈良国立文化財研究所においてエックス線検査したところ、刀身の柄寄りの部分に「戊辰年五月(中)」と刻まれた銅象嵌による銘文が発見されました。干支年号をもつ鉄刀の出土例としては、稲荷山古墳(埼玉県)の辛亥年銘鉄剣【しんがいねんめいてつけん】(国宝)に続いて全国2例目です。銅象嵌銘としては本例が唯一のものです。「戊辰(つちのえたつ)」については、出土した須恵器の特徴から、608年(推古天皇16年)と推定され推古天皇聖徳太子の時代に活躍した人を埋葬したお墓です。この銘文から「戊辰年銘大刀」(国宝)と呼ばれており、金具等から、飛鳥地方で製作されたものと推定されています。

この2号墳から国指定重要文化財の「戊辰年銘大刀」(ぼしんねんめいたち)が出土したことから、「つるぎが丘公園」と名づけられています。この当時、但馬を支配した国造の古墳と考えられるのは、約4km東南にある養父市の大薮古墳群で、箕谷古墳群の埋葬者も彼ら但馬支配に貢献した一族と考えられています。 現在、築墳当時の姿が復元され、公園として整備されています。中でも、2号墳は天井石を一枚取って強化ガラス製の天窓を設け、そこからの光で石室の内部がよく見えるようになっています。天窓を使った古墳の整備は、全国でも初めての試みで、石室内の壁は、もともと使われていた古い石材の上に新しい石材を積んで復元されています。古い石材はもろくなっているため、撥水(はっすい)強化処理が施されています。石室の床には礫を敷き、その中央に人を型取った板を設置。人型の周りには、2号墳から出土した戊辰年銘大刀や鉄刀、矢、土器など約35点の復元品が置かれ、埋葬当時の様子が再現されています。残念ながら天窓の内側に水滴がたまり曇っていて室内は見えませんでした。

■国木とが山古墳群 兵庫県指定文化財

養父市八鹿町国木 5世紀~6世紀前半

養父市内で唯一の前方後円墳

但馬発掘状況