但馬国ねっと風土記

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

但馬国ねっとで風土記

専門家ではない視点からとらわれない最新の歴史から今を知る

(1) 朝鮮初代国家の形成という空想

『韓国朝鮮の歴史と社会 '04』放送大学客員教授東京大学教授 吉田光男著を題材に、「古代国家の形成と展開」

 初代国家の形成  李 成市

朝鮮半島の歴史は、五千年の歴史といわれ、古代国家の形成は、紀元前三千年前までさかのぼることになる。実際に、紀元前三千年ごろには古朝鮮とよばれる国家が、現在の中国東北地方からシベリア大陸までまたがる広大な地域に形成されたとの主張もある。しかし、ここでは文献資料で確実にたどることができる紀元前数世紀の古朝鮮の時代から、やがて、高句麗百済加耶新羅といった王朝が相互に抗争し、新羅渤海という王朝が滅びるまでの数千数百年間の歴史を、朝鮮半島における古代国家の形成と展開の過程として捉えて述べることにする。

古朝鮮  朝鮮古代の最初の国家は古朝鮮という。これは檀君朝鮮・箕子(キシ)朝鮮・衛氏朝鮮の三朝鮮を近世の朝鮮王朝と区別して、三朝鮮を総称する際に一般的に用いられる。しかしながら、まず檀君朝鮮は、現在まで残されている文献資料をみる限り、それらの資料の成立は紀元後10世紀以上をさかのぼることができず、後世につくられた神話としての性格が強いので、初期国家を語る対象にはしがたい。  また箕子朝鮮についても、後世の史家によって少なからず手が加えられており、その実像はとらえにくい。  三世紀末の『魏略』は、紀元前四~三世紀ごろに、中国の戦国七雄の燕(エン)が朝鮮の西方に攻め込んで満潘汗(マンバンカン)を境界としたときに朝鮮王を称する者がいたこと、さらに紀元前三世紀末に秦(シン)が燕を滅ぼし遼東に万里の長城を築くと、朝鮮王・否(ヒ)が秦に服属したこと、その後、否の子・準へと王位が受け継がれたことを記している。一方、『魏志』は、準のことを箕子の40余世と記しています。ここに矛盾があり、確かな根拠は今のところない。

 いずれにしても、紀元前二世紀から三世紀ごろに、朝鮮王・準の時代には、中国の秦漢交代期の動乱を避けて、燕・斉・趙などの国々から、多数の人々が朝鮮付近に流入したとみられる。その中に、燕から千余人の配下とともに亡命してきた衛満がいた。朝鮮王・準は、その衛満を受け入れて西方国境の守備に当たらせるなど重用したが、衛満は王倹城(平壌)を都と定め、半島の南部や東岸をも支配下に収めた。これが衛氏朝鮮の成立である。

 衛氏朝鮮の支配体制は、衛満から孫の右渠(ウキョ)へと三代にわたって引き継がれた。王のもとには有力者が結集して支配層を形成した。そのなかには中国の姓をもつ中国系の有力者の他に、姓をもたない朝鮮半島の在地の有力者も参画していた。したがって、衛氏朝鮮の国家の性格は、亡命中国人のほかに領地内の土着の首長も支配層に吸収して組織した連合国家であったとみられる。

これを冒頭に引用する吉田光男教授も教授であるが、この李 成市(リ・ソンシ、1952年 - )とはどんな人なのか検索してみた。

在日韓国人で、日本の東洋史学者。早稲田大学文学学術院教授(文学部)。愛知県名古屋市出身。

朝鮮半島の歴史は、五千年の歴史といわれ、古代国家の形成は、紀元前三千年前までさかのぼる

李 成市氏は、何を持って古代国家としているのであろう。たしかに「現在まで残されている文献資料をみる限り、それらの資料の成立は紀元後10世紀以上をさかのぼることができず、後世につくられた神話としての性格が強いので、初期国家を語る対象にはしがたい。」と注釈を入れている。しかし何を持って古朝鮮を古代国家とするのか。その根拠はあるのだろうか。史学者であり早稲田大学文学学術院教授である以上、一般の歴史家の思い込みでは済まされない。

紀元前三千年前というと、中国は、黄河流域で龍山文化、その後二里頭文化、長江流域で石家河文化が栄える。 日本は、縄文時代中期〜後期にあたる。集落が大型化し三内丸山遺跡のような巨大集落が現れた。

朝鮮半島はもとより、中国や日本にクニとよばれる集落規模の小国家が形成された時期で、古代国家という概念は確定していないし、規模のものはどこにも存在していないし、その根拠は何もないのだ。

韓国最古の正史とされる歴史書『三国史記』は、1143年執筆開始、1145年完成、全50巻。日本でいえば鎌倉幕府が成立する約50年前で、それ以前の正史はない。

広告を非表示にする