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たじまる 古墳-1

f:id:kojiyamane:20170110081544j:plain 歴史。その真実から何かを学び、成長していく。
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但馬・丹後の古墳

古墳 丹色(にいろ)#e45e32 最初のページ戻る次へ

概 要

 
 古墳時代とは、一般に3世紀半ばすぎから7世紀末までの約400年間を指します。中でも3世紀中葉過ぎから6世紀末まで前方後円墳が北は東北地方から南は九州地方の南部まで造り続けられた時代であり、前方後円墳の世紀ともいわれます。前方後円墳が造られなくなった7世紀には、方墳・円墳、八角墳などが造り続けられ、終末期と呼ばれています。 日本国家の成立から考察すれば、前期・中期の古代国家の形成期を経て、後期から終末期にかけて日本の古代国家が成立したと考えられています。 この時代にヤマト王権が倭の統一政権として確立し、前方後円墳ヤマト王権が倭の統一政権として確立してゆくなかで、各地の豪族に許可した形式であると考えられています。 ヤマト政権による国内統一も進み、また朝鮮や中国大陸からの文化の流入も一層活発となってきます。 ▲ページTOPへ

1.時期区分

  • 3世紀の後半 奈良盆地に王墓と見られる前代より格段に規模を増した前方後円墳が出現。西日本各地に特殊な壺形土器、器台形土器を伴った墳丘墓(首長墓)が現れます。その後、前方後円墳のさきがけと位置付けられる円墳、出雲文化圏特有の四隅突出型墳から変化した大型方墳が代表的であり、最古のものは島根県安来市の大成古墳と位置付けられ、前期には珍しい素環頭大刀が出土しています。
  • 4世紀中頃から末まで 半世紀の間に奈良盆地の北部佐紀(ソフ(層富)とも)の地に4基の大王[*1]墓クラスの前方後円墳が築かれる。
  • 4世紀の後葉 河内平野に巨大古墳が約1世紀の間築造され、この世紀の終わり頃には畿内の一部に先進的な群集墳が現れる。
  • 5世紀の半ば 各地に巨大古墳が築造されるようになる。
  • 6世紀の終わり 日本各地で、ほぼ時を同じくして前方後円墳が築造されなくなり、方墳・円墳、八角墳などが造り続けられ終末期と呼ばれています。 これは、ヤマト王権が確立し、中央・地方の統治組織をできあがり、より強力な政権へ成長したことの現れだと解されています。この後しばらくの間、方墳や円墳が造り続けられています。大王の墓は特別に八角墳として築造されました。 ▲ページTOPへ

2.古墳時代前期

f:id:kojiyamane:20170110101540j:plain 大仙(だいせん)古墳(伝仁徳天皇陵)写真:ウィキペディア  3世紀の後半には、西日本各地に特殊な壺形土器、器台形土器を伴った墳丘墓(首長墓)が現れます。その後、前方後円墳のさきがけと位置付けられる円墳、出雲文化圏特有の四隅突出型墳から変化した大型方墳が代表的であり、最古のものは島根県安来市の大成古墳と位置付けられ、前期には珍しい素環頭大刀が出土しています。それから少し経ち、奈良盆地に大王陵クラスの大型前方後円墳の建設が集中しました。埋葬施設は竪穴式石室で、副葬品は呪術的な鏡・玉・剣・石製品のほか鉄製農耕具が見られます。この頃、円筒埴輪が盛行し、土師器が畿内でつくられ、各地に普及し、その後、器財埴輪・家形埴輪が現れました。

3.古墳時代中期

 5世紀の初頭、王墓クラスの大型前方後円墳奈良盆地から河内平野に移り、さらに巨大化し、人物埴輪が現れた。5世紀半ばになり、畿内の大型古墳の竪穴式石室が狭長なものから幅広なものになり、長持ち型石棺を納めるようになった。各地に巨大古墳が出現するようになり、副葬品に、馬具・甲冑・刀などの軍事的なものが多くなった。 5世紀後半には、北部九州と畿内の古墳に横穴式石室が採用されるものが増えてきた。北部九州の大型古墳には、石人・石馬が建てられるものもあった。またこの頃大阪南部で、須恵器の生産が始まり、曲刃鎌やU字形鋤先・鍬先が現れた。 5世紀の終わりには、畿内の一部に先進的な群集墳が現れ、大型古墳に家型石棺が取り入れられるようになった。南東九州地方や北部九州に地下式横穴墓がつくられ始め、また、装飾古墳が出現しだした。
  • 一部の地域首長古墳が巨大化
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4.古墳時代後期

6世紀の前半には、西日本の古墳に横穴式石室が盛んに造られるようになった。関東地方にも横穴石室を持つ古墳が現れ、北部九州では石人・石馬が急速に衰退した。 6世紀後半になり、北部九州で装飾古墳が盛行し、埴輪が畿内で衰退し、関東で盛行するようになった。西日本で群集墳が盛んに造られた。 ▲ページTOPへ

5.古墳時代終末期

 全国的に6世紀の末までに前方後円墳が造られなくなり、畿内でも方墳や円墳がしばらくの間築造されていた時期を古墳時代の終末期と呼んでいる。

6.古墳の概要

 一般には墳丘を持つ古い墓のこと。古代の東洋では特定のわずかな人たちである位の高い者や権力者の墓として盛んに築造されました。日本史では、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼び、それ以外の時代につくられた墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んで区別しています。 古墳は規模や化粧方法の違いとともにその平面形状によって、さらに埋葬の中心施設である主体部の構造や形態によって細かく分類編年されています。墳丘の築造にあたっては、盛り土部分を堅固にするため砂質土や粘性土を交互につき固める版築工法で築成されるものも多いこと、こうした工法は飛鳥や奈良時代に大規模な建物の基礎を固める工法として広く使用されていることが、修繕時の調査などで判明しています。 古墳は、規模・形状、およびその他の要素において、弥生時代の墓制にとって変わったものでなく、非常に変化した墓制としてあらわれました。それは、特定のわずかな人たちの埋葬法であり、同時代の集団構成員の墓と著しく隔絶したもので、地域的にも不均等に出現します。すなわち、古墳の発生は、墓制の単なる変化や葬送観念の変化にととどまらず、社会・政治の全般に関わる問題としてあらわれたのです。そうした変化から古墳時代と呼ばれます。 日本の古墳は、基本的な形の円墳・方墳をはじめ、八角墳(天武・持統天皇陵)・双方中円墳(櫛山古墳・楯築古墳)などの種類があります。日本の主要な古墳は、前方後円墳前方後方墳・双円墳・双方墳などの山が二つあるタイプの古墳であることが多いです。 多くの古墳は築かれてから長い時間が経過したため、上に木が生えている事が多いですが、建造当時の木のない状態が多くの古墳の本来の姿でした。 日本の古墳所在件数が最も多いのは兵庫県で16,577基にのぼります。以下、千葉県13,112基、鳥取県13,094基、福岡県11,311基、京都府11,310基とつづき、全国合計では161,560基となります(平成13年3月末 文化庁調べ)。 ▲ページTOPへ

7.埋葬施設

古墳に用いられる埋葬施設には、竪穴系のものと横穴系のものとがあります。 ■竪穴式石室(たてあなしきせきしつ) 竪穴系のものは、築造された墳丘の上から穴を掘り込み(墓坑 ぼこう)、その底に棺を据え付けて埋め戻したものです。基本的にその構造から追葬はできず、埋葬施設内に人が活動するような空間はありません。竪穴式石槨、粘土槨、箱式石棺、木棺直葬などがあります。このうち、竪穴式石槨は、墓坑の底に棺を設置したあと、周囲に石材を積み上げて壁とし、その上から天井石を載せたものです。古墳時代前期から中期に盛行する。粘土槨は、墓坑底の木棺を粘土で何重にもくるんだもので、竪穴式石槨の簡略版とされます。古墳時代前期中頃から中期にかけて盛行しました。箱式石棺は、板状の石材で遺骸のまわりを箱状に囲いこむもので縄文時代以来の埋葬法です。木棺直葬は、墓坑内に顕著な施設をつくらずに木棺を置いただけのもので、弥生時代以来の埋葬法です。 石材は二上山サヌカイト[*2]が一般的ですが、徳島県吉野川下流域の結晶片岩[*3]もよく使われています。石室の構築には、相当な量の石が運ばれたと想定できます。 割竹形木棺の内・外の面と石室の壁面とにベンガラ(赤色顔料)[*4]が塗られている。棺の内側には朱(水銀朱)[*5]が塗られている場合もあり、ベンガラと朱の両方が用いられる場合もあります。埴輪を造ることが埋葬祭祀の一部であるととられられているので、石室構築も同様に埋葬祭祀行為であったと考えられます。 ■横穴式石室(よこあなしきせきしつ) 横穴式石室(よこあなしきせきしつ)とは、日本においては、古墳時代後期に古墳の横に穴をうがって遺体を納める玄室(げんしつ)へつながる通路に当たる羨道(せんどう)を造りつけた石積みの墓室のことをいいます。横穴式石室、横口式石槨などがあります。石室を上から見たとき、羨道が玄室の中央につけられているものを両袖式、羨道が玄室の左右のどちらかに寄せて付けられているものを片袖式と呼びます。玄室内に安置される棺は、石棺・木棺・乾漆棺など様々です。玄室への埋葬終了後に羨道は閉塞石(積み石)や扉石でふさがれているますが、それを空ければ追葬が可能です。古墳時代後期以降に盛行すしました。横口式石槨は、本来石室内に置かれていた石棺が単体で埋葬施設となったもので、古墳時代終末期に多く見られます。 高句麗の影響が、5世紀頃に百済伽耶諸国を経由して日本にも伝播したと考えられ、主に6~7世紀の古墳で盛んに造られました。奈良県石舞台古墳のような巨石を用いるもの(石舞台の場合は墳丘が喪失している)が典型的ですが、中国の墓を意識したような切石や平石を互目積(ごのめづみ)にした磚槨式石室と呼ばれるものもあります。 ■棺(かん・ひつぎ) 古墳時代には、死者を棺に入れて埋葬しました。棺の材料によって、木棺、石棺、陶棺などがあります。 *註
[*1]…天皇という称号が生じる以前、倭国(「日本」に定まる以前の国名)では天皇に当たる地位を、国内では大王あるいは天王と呼び、対外的には「倭王」「倭国王」「大倭王」等と称された。古くはすべらぎ(須米良伎)、すめらぎ(須賣良伎)、すめろぎ(須賣漏岐)、すめらみこと(須明樂美御德)、すめみまのみこと(皇御孫命)などと称した。 [*2]…讃岐岩(さぬきがん、sanukite、サヌカイト)はカンカン石とも呼ばれ、 名称のもとである香川県坂出市国分台周辺や大阪府奈良県の境にある二上山周辺で採取される非常に緻密な古銅輝石安山岩。石匙(いしさじ)、削器(さっき)などの各種のナイフ類、また、鏃(ヤジリ)などに使われる。固いもので叩くと高く澄んだ音がする。玄関のベルの代わりに使われたりしている。楽器としての演奏者も存在している。 [*3]…変成岩の一種。片岩(へんがん、schist[1])ともいう。 [*4]…赤色顔料のひとつ。酸化第二鉄(赤色酸化鉄、酸化鉄(III)、Fe2O3)を主要発色成分とする。 [*5]…赤色顔料のひとつで硫化水銀。赤、辰砂。丹生を参照 -出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』- -出典: 「古代日本の歴史」「日本の古代」放送大学客員教授東京大学教授 佐藤 信 ▲ページTOPへ
古墳 丹色(にいろ)#e45e32 最初のページ戻る次へ
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