但馬国ねっと風土記

但馬国ねっとで風土記

専門家ではない視点からとらわれない最新の歴史から今を知る

二方郡から消えた三郷

第七章 新但馬国

[wc_skillbar title="二方郡から消えた三郷" percentage="100" color="#007bbb"] [catlist id=588] 延喜式神名帳に、二方郡は五座(小)で、温泉郷は二方郡(新温泉町)だが、元の浜坂町に二方神社(指杭)、大家神社(二日市)、大歳神社(居組)の三座で、旧温泉町(温泉郷)の式内社は竹田の面沼(めぬま・メヌ)神社・宮脇の須賀神社の二座であり鳥取県境に近い。七美郡式内社春木神社に列しているので、太古、春来は七美郡射添郷であったのだろうが中古に温泉郷となっている。

校補但馬考に、此の郡(二方郡)は、上古に一国なり。公事本紀曰く二方造(ふたかたのみやつこ)、志賀高穴穂朝(しがのたかあなのみかど)ノ御世、出雲国造ノ同租 遷狛一奴命ノ孫 美尼布命(みちふのみこと)を国造に定め賜うとあり。その後一郡として、但馬に合わせられしは、何時にかありけん。古書に見えず。

倭名類聚抄に載る郷は、久斗、二方、田公、大庭、八太、陽口、刀岐、熊野、温泉(ゆ)、以上九村、村数五十四。

久斗郷 二方郷 田公郷 大庭郷 八太郷 熊野郷 温泉(ゆ)郷の七郷で、八太郷は荘園で八太庄、今は畑と一字に書いたとあるが固定している。八田小学校がある岸田側上流地区だ。宮脇に式内社須賀神社がある。

熊野郷は不明だと記され、陽口、刀岐の二郷は、倭妙抄に和訓なし。その地も考えがたし。故に論せず。惣じて此の郡中諸郷の土地、その村入り交じりて正しからず。古代の境を失なえるに似たり、とある。

八太郷は今の十一村。井土、千原、鐘尾、千谷、宮脇、内山、越坂、海上、前村、石橋、岸田。

温泉(ゆ・ゆせん)郷は、今の十六村。湯村、熊谷、伊角、檜尾、春木、哥長、柤岡、細田、多子、塩山、中辻、丹土、切畑、飯野、相岡。と記す。

田公郷は中世期、八木氏から分かれた日下部一族田公氏の修理太夫家が地頭長井出羽入道祐収めた領地。今の村数七。栃谷、七釜、古市、新市、用土、今岡、金屋。

久斗郷、二方郷、田公郷、大庭郷は旧浜坂町内と分かる。その次に八太、陽口、刀岐、熊野、温泉と記されているから、八太郷は旧温泉町の西端、温泉(ゆ)郷は東端だから、倭名類聚抄では八太に続いて陽口、刀岐、熊野で温泉で終わるから、故意に順番を間違えたとは考えにくく、他の旧浜坂町内は余地がないから、八太郷と温泉(ゆ)郷の中間でなければおかしいことになる。

湯村のすぐ北の細田までが温泉郷。八太郷の井土は岸田川が北へ流れを変える今の竹田のすぐ北で、井土、千原、鐘尾と順に記され、現在もその地名が残る。井土のすぐ隣は田公郷金屋である。この狭い領域に消えた熊野郷や、しかも陽口、刀岐、熊野の三郷の余地はない。陽口、刀岐、熊野の三郷はどこに消えてしまったのだろう。

他にないかと捜してみた。二方、七美郡の郷は久斗7、二方7、田公、大庭が各7、村数が多いのは、二方郡温泉郷16、春木峠を越えて七美郡西部の郷では、射添郷13、小代郷20だが、倭名類聚抄には、陽口、刀岐、熊野の三郷は二方郡となっているので、山陰道の難所の一つである春来峠を越えた七美郡ではまずないだろう。

広告を非表示にする