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但馬国司文書『但馬故事記』の考察

国司文書・但馬故事記・別記」の訳註書『但馬故事記-但馬国司文書・』「古事大観録」「但馬神社系譜伝」「但馬郷名記抄」「世継記・秘鍵抄ほか」の訳註 吾郷清彦氏のコピーを同じく但馬史や神社に興味を持たれている知人からいただいた。

神社の由来・縁起を知る手がかりとして、あの桜井勉『校捕但馬考』などから拾っていたが、どうしても『但馬故事記-但馬国司文書』が読みたくなった。但馬文教府にあると聞いたので、いってみると但馬文庫は閉館していたので、豊岡市図書館にないものかと探しにいったら、コピーした写本があった。翌日また出かけて禁帯出ではないことが分かり、わかりやすい現代文に直された『平文 但馬故事記 全』長岡輝一著とともに借りてきた。

読んでみると、但馬の歴史・風土記・神社等が実に詳しく、とても「但馬考」のように一個人が収集した文集のようなものではなく、但馬国府に任じられた歴代の国司・官人たちが数年の歳月をかけて編纂された公文書なのである。

まず肝心な神社の吾郷清彦氏が書中に書いているように、「この中でも神社系譜伝は、神社の由来・縁起をはじめ、祭神のことなど、こと祭祀に関する限り、延喜式の但馬版といってもよいであろう。」 長年捜していた貴重な書を見つけた喜びと同時に、なんとはるか1000年以上前に正確に記されていたのに感激してしまった。

しかし、どうやら『但馬故事記』を偽書として、軽んじられてきたが、もちろん、桜井勉氏は偉大な郷土の偉人であり、「校捕但馬考」はそれとして、あまりにも彼の「附警」として但馬古事記偽書であるを調べもせず信じこみ、「校捕但馬考」のみを但馬の歴史書としか見ようとしないのではなかろうか。思い当たる点では、吾郷清彦氏・長岡輝一氏ともに同感だ。また、感動したのは、すでに国司文書編纂者が『但馬故事記序』として書いている言葉である。

但馬故事記序

日本根子天高譲弥遠天皇(第五十三代 淳和天皇:在位:弘仁14年4月27日(823年6月9日) - 天長10年2月28日(833年3月22日))の朝(みよ)、 国司 解状を郡司に下し、その郡の旧記を進ぜしむ。 朝来少領 従八位  和田山守部臣 養父大領 従八位上 荒島宿祢利実 出石大領 正八位上 小野朝臣吉麿 城崎大領 〃    佐伯直弘麿 美含大領 正八位下 佐自努公近通 七美大領 従八位上 兎束臣百足 二方大量 正八位上 岸田臣公助 等、相前後して、之を国衙(こくが)に、注進す。 其の書、実に三十余種の多きに至る。 故、其の中に就き、正鵠(せいこく)と認むるものを取り、之を編録す。 上、神代に起こし、下、今代に終わる。焉。 (中略) 其ノ間、年を経ること158、月を積むこと、1896、稿を替えること、79回の多に及ぶ。(中略) 然して夫れ、旧事記、古事記日本書紀は、帝都の旧史なり。此の書は、但馬の旧史なり。 故に帝都の旧史に欠有れば、即ち此の書を以って補うべく、但馬の旧史に漏れ有れば、即ち帝都の正史を以って補うべし。焉。 然りいえども此の書、神武帝以来、推古帝に至るの記事書く。年月実に怪詭を以って之を書かざれば、即ち窺うべからず。 (そうはいっても、この書は神武帝から推古帝の記事を書くのだから、年月は実に怪しさをもって書いていることを否定出来ない。) 故、暫く古伝旧記に依り之を填(うず)め補い、少しも私意を加えず。また故意に削らず。しかして、編集するのみ。

現代でも歴史を知る姿勢として十分通じるべき範として見習うべきことを、すでに平安時代に述べられていることに、日本の先人の偉大さを再認識するのである。

『但馬故事記』について

2012-08-11 18.49.01

(原文コピー本)豊岡市図書館蔵

竹内文書・但馬故事記』吾郷清彦 昭和59年11月16日 発行 定価 3万円 (株)新国民社

(筆者が、)『但馬故事記註解』を『自己維新』に連載した昭和47年10月号より翌48年12月号まで一年と三ヶ月。 ところが昭和54年に、兵庫県の田中成明氏より『古事大観録』・『但馬神社系譜伝』(原本コピー)の寄贈を受けた。 ここにおいて私は、『但馬国司文書』註解の衝動に駆られ、これを執筆、発表する決意を固めた。 そもそも『但馬国司文書』は、副題としてあげた如く、『出雲国風土記』に皮脂、勝るとも劣らない価値ある古文書だ。この文書は左記三種の古記録、計22巻より成る。

『但馬故事記』(但記)   八巻 『古事大観録』(大観録)  三巻 『但馬神社系譜伝』(系譜伝) 八巻

このほかに 『但馬国司文書別記・但馬郷名記』 八巻、 『但馬世継記』八巻、 『但馬秘鍵抄』などがある。

※()は筆者の略称

これらを本著に収録して、注釈を加えれば大冊となり、内容上重複する箇所がすこぶる多くなる。よって、『但記』・『大観録』・『系譜伝』を三本の柱となし、これに『郷名記』を加え、『世継記』と『秘鍵抄』とは概要にとどめ、必要に応じて引用することとした。

(省略)

この国司文書は、地方の上古代史書のうちで『甲斐古蹟考』とともに東西の横綱として高く評価されるべきものだ。

兵庫県(出石)の郷土史家桜井勉は、これらを深く調べもせず、枝葉末節にこだわり、但書を偽作視するが、情けない限りだ。概して学者なるものは、ひとたび自説を発表するや、自説を曲げず、他説をそしることに汲々とする傾向がある。 私は、これまでの狭量な学者的態度をとらず、また科学者が、専門外の史学に没入した際、数式や定説を作り上げて、一つの結論に単略しがちな弊にも陥りたくない。

(省略)

本書の編纂時期と執筆者

ここで本書とは、但記・大観録・系譜伝および郷名記の四書(30巻)を指すものと心得えられたい。

これらの四書は、同時期に作られたものではない。従って編纂者も違う。 但記の場合、但記序からも判るように、本記八巻は、 起稿   弘仁五年春正月(814) 脱稿   天延二年冬十二月(974)である故、 編纂期間 160年という長い年月を経ているわけだ。

執筆者たち

但馬故事記の場合 160年の間に79回も草稿を替えたとあるから、当然執筆者も同一人物であるはずがない。

第一次編纂者群 国学ノ頭 国博士 文部の吉士(きし) 良道 国学ノ助 菅野朝臣 資通(すけみち) 国学ノ允(じょう) 真神田首 尊良(たかよし) 国学ノ属(さかん) 陽候史(やこのふひと) 真佐伎

第二次編纂者群 明法博士 得業生・但馬権博士・讃岐朝臣 永直(ながなお) 国学頭 菅野朝臣 資倶(すけとも) 〃  国博士・膳臣(かしわでのおみ) 法経(のりつね) 国学助 真神田首 光尊(みつたか) 国学允 文部の吉士 経道(つねみち) 国学属 陽候史 真志訶(ましか)等

本書の記録範囲と内容

時間的には、天火明命の天降りから人皇62代村上天皇の天暦五年(951)まで、地域上ではもちろん但馬国が主体をなすが、隣接する因幡・丹後・丹波・播磨その他の国々が登場する。

但馬故事記 これは但馬国八郡にわたる歴史編というべきもの 古事大観録 多分に風土記的色彩を帯びており、但馬国の文化編といえよう。 但馬神社系譜伝 これは、延長五年(927)12月に上程された延喜式を見習って作られたものであろうか。各部ごとに、かくも整然と詳しく神社の系譜が伝えられていること、まさに日本全国で唯一無双といってよいであろう。まったく壮観である。

本書の特徴と史的価値

但馬国司文書の特徴

本書を風土記として見る場合、その余りにも広大な構成に驚く。よって私は、本書を歴史篇と産業文化篇・神道篇とに分けて考える。

すなわち歴史編は、『但馬故事記』八巻であり、産業・文化編は、『大観録』『郷名記』、神道編は『系譜伝』に当たる。『郷名記』は、地理篇というほうが、より妥当であろう。それよりも、むしろ世継記・大観録・郷名記の三書は風土記篇と呼ぶのが適当かもしれない。 本書に共通する特徴を左のごとく列挙しよう。

1.但馬地方の諸伝承を忠実に記載する。 2.古典四書(1)などを充分に参照している。 3.神社の祭神をよく調べ、かつて上代(300-1000)に神社信仰時代があったことを、本書は明示する。 4.本書は、古墳時代に関する記録が多い。なかんずく古墳の副葬品の叙述に満ち溢れている。「国司文書 但馬神社系譜伝」の点で考古学・民俗学上見逃せない有力な資料である。 5.諸々の連(むらじ)・公・君(きみ)・臣(おみ)・首(おびと)など、各郡首長たちの系譜を詳細に伝える。 6.天孫-饒速日(天火明)尊-降臨の詳しい伝承を記載する。 7.陸耳(くがみみ)-御笠討伐の記録は、他所に全くない詳伝である。 8.神功皇后但馬国における足跡を伝える。 9.天日槍一族の事蹟が、ことのほか詳しい。 10.兵庫(やぐら)の設定、軍団の構成、陣法による訓練の諸項に見るべきものが多い。

(1)古典四書…『古事記』・『日本書紀』・『旧事記』を古典三書。この三典に『古語拾遺』を加えて古典四書という。

本書の史的価値 但記序文における編纂方針と執筆者たちの良心的態度

夫(そ)れ旧事紀・古事記日本書紀は帝都の旧史なり。この書は但馬の旧史なり。故に帝都の旧史に欠有れば、即ちこの書をもって補うべく、但馬の旧史の漏れ有れば、即ち帝都の正史といえども荒唐無稽の事無きにしも有らず。況んや私史家様に於いてをや。

この堂々たる一文、もって私たち古代研究家の大いに範とすべき大文章だ。

(省略)

桜井勉の著述として採るべきものは多々ある。また神社信仰時代を示す資料としてみる場合、まさに但書は天下一品、とても但馬考などの追随を許さない。(省略)

総合して、但馬考と比較するとき、上古代から中世までに関する限り、但書は但馬考よりはるかに優れており、但馬考以上に高く評価すべきものである。

さて本著の副題に─出雲風土記にまさる古代史料─とつけたごとく、本書は、出雲風土記をはじめ、各国から上進された諸風土記に勝るとも劣らぬ内容を備えている。

この中でも神社系譜伝は、神社の由来・縁起をはじめ、祭神のことなど、こと祭祀に関する限り、延喜式の但馬版といってもよいであろう。

  • 国司文書・但馬故事記』には、2つの貴重な事実が但記序文に載っている。 一つは、但馬風土記が、人皇52代陽成天皇の御代火災にかかり焼失したことは、遺憾で堪えられないことだ
  • この書は平安初期、弘仁五年(814)に稿を起こし、天延2年(974)冬12月に至る。 編纂に従事する者はいずれも中央から派遣された国学寮の学者である(今風に言えば国家公務員)
  • 『旧事記』・『古事記』・『日本書紀』は帝都の旧史なり。この書は但馬の旧史なり。 ゆえに帝都の旧史に欠有れば、即ちこの書を以って補うべく、但馬の旧史に漏れ有れば、即ち帝都の正史を以って補うべし。 然りといえどもこの書は、神武帝以来推古帝に至るの記事を書す。年月日に怪訝に似たり。(中略)古伝旧記に依りこれを補填し、少しも私意を加えず。また故意に削らず、編を成すのみ。
  • 正史が国家権力によって記されているのと、地元に縁もゆかりもない派遣された国学者たちが客観的に編纂するこの書と、どちらが信憑性が高いだろう。国府に従事するならむしろ中央に有利に書くだろう。但馬の風土記を脚色しても何の利があるといえるのだろうか?むしろ、客観的に編纂されていると思えるのである。

『平文 但馬故事記 全』 長岡輝一著 発行 平成十年

『但馬故事記』は、我ら昭和3年蚕業学校(現県立八鹿高校)卒業29回生の級友、伊藤三武郎君が、苦心を重ねて再発掘した古書である。

大正時代の史家櫻井勉氏は、自著『校捕但馬考』は、但馬史において重要な資料であるが、彼は、『但馬故事記』をその書の中で、後世の偽作と断定して、「附警」の一巻を設け、鋭く論断を加えている。

以後、但馬故事記は黙殺の厄に合い、但馬人はこの書を読まず、学者・史家は言及を避けている感が深い。

『校捕但馬考』の附警を繰り返し読んでみても、『但馬故事記』の「後世偽作」を証明する確証は一項も見当たらない。

また、反面には最近の史家によって、その編纂の頃までに、地元に残っていた伝承が書いてあり、また古事記日本書紀に、作為的に記載を除外したかと思わせる部分もあり、極めて貴重な文献だとする見解もある。

『但馬郷名記』は、故事記編者の中に名のあがっている陽候史真志訶の著で、

[以上抜粋引用]

桜井 勉

明治時代の行政官。出石藩の儒官・桜井石門の長男として出石町伊木(現兵庫県豊岡市)に生まれた。明治新政府では内務に携わった。内務省地理局長時代には全国の気象測候所の創設を働きかけ、気象観測網の基礎を築いた。その後、徳島県知事、山梨県知事、台湾新竹知事、内務省神社局長を歴任、1902年(明治35年)に退官した。 退官後は出石に戻り、「校補但馬考」を著して但馬の郷土史研究の基礎を築いたほか、教育振興などにつとめた。