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【地名地誌】 気多郡三方郷(三方村)

三方郷

倭名類聚抄(倭名抄)

訓:美加太 弘安大田文に、三方荘、田59町、熊野山領觀音寺の田9町。 但馬考に、今の三方荘は、芝・安良川(今の荒川)・猪子垣・廣井・殿・栗山・觀音寺・知見・三所の10邑(村は当時は邑と書く) 寛仁期に創建されたという觀音寺が有る。 山名の老臣、垣屋氏の菩提寺、隆国寺が安良川に有る。弘安三年創建の但馬国の巨刹。祀典所は神門神社。山王社と称えられる。

国司文書 但馬郷名記抄』吾郷清彦編 平安後期 天延三年(975)に、

羽知・柴垣・麁香(アラカ)・亥猪民部・廣井・志貴・栗山・馬工村・守山、智々見・餐所

麁香は今の荒川、亥猪民部は猪子垣、馬工村は観音寺。守山は森山、智々見は知見、餐所は三所(今は無し)。志貴は芝? 志貴は不明です。

『校補 但馬考』

(但馬太田文曰く 鎌倉時代) 三方郷 村数十

芝・安良川・猪子垣・廣井・殿村・栗山・観音寺・森山・知見・三所

【沿革】

1889年(明治22年)4月1日、気多郡三方郷と楽々前郷が気多郡三方村が発足。 1896年(明治39年)4月1日 – 気多郡が美含郡とともに城崎郡へ編入される。 1925年(大正14年)11月1日 – 町制を施行し日高町となる。 1955年(昭和30年)2月1日 – 養父郡宿南村の一部を編入。 1955年(昭和30年)3月25日 – 日高町、国府村、八代村、三方村、西気村、清滝村が合併し、新しい日高町が発足。 2005年4月1日、豊岡市および城崎郡城崎町竹野町出石郡出石町但東町と合併し新しい豊岡市になった。 (ウィキペディア

麁香(アラカ)

麁香は諸神斎場の地なり。神門臣神人(みわびと)この地に居る。天穂日命の12世孫、宇賀津久努命(1)(神門臣の祖)を祀り、これを神門神社という。

(1)宇賀津久努命 神門臣の祖。姓氏録(第十三巻)に天穂日命の12世孫とあり、出雲臣の遠祖、出雲振根の甥に当たる。「紀」には鵜濡渟と記す。

亥猪民部(イノコノカキベ・猪子垣)

(古語は為能己ノ詞支部) 允恭天皇の二年春二月、 多遅麻毘売命(タヂマビメ)は物部連多遅麻公に命じ、玄猪の餅を奉らしむ。この故に玄猪民部を定め、多遅麻毘売命この地に鎮座す。姫宮神社これなり。

羽知(羽尻)

国司文書 但馬郷名記抄』 的臣羽知(イクオミノハジ)この地にあり。この故に名づく。葛城襲津彦命を祀り、的場神社という。

国司文書 但馬故事記』(第一巻・気多郡故事記・下) 人皇四十一代持統天皇巳丑三年秋七月、 左右の京職および諸の国司に令して的場(いくはば)を築かしむ。 国司務広参 榛原公鹿我麿は、気多郡馬方原に的場を設け、的臣羽知を以て令と為す。的臣羽知はその祖、葛城襲津彦命を馬方原に祀り、的場神社と称す。

(羽知は今の羽尻)

萬場神社 豊岡市日高町羽尻549 伝へいふ持統天皇3年(689)7月諸国の国司に令して的場を築かしめ給ひしかば但馬国司廣務参榛原公鹿は気多郡馬方原に祀り的場神社と称せり是今の万場神社の起因なり

然るに的場を万と称せしは語音の変化したるか又此神は元西気村万場村より此地に祀られたるなりとも伝ふ故に生じたるか後ち速須佐男命を祭神となし安政5年(1858)本殿を再興し明治6年(1873)10月村社に列し同33年(1900)又社殿を再建す。

-「兵庫県神社庁」-

三方郷は、馬方郷の転訛、軍馬操練の地なり。この故に名づく。馬工連(ウマタクミノムラジ)この地にあり。 馬方連刀伎麿、その祖、平群木菟宿禰命を馬方原に祀る。これを馬工(ウマタクミ)神社という。

国司文書 但馬故事記』(第一巻・気多郡故事記・下)

人皇四十代天武天皇四年二月乙亥朔(きのといさく)、 但馬国等の十二国に勅して曰わく、 「所部(クニノウチ)の百姓(オホムタカラ)の能く歌う男女およびヒキ儒(ト)・伎人(ワザト)を撰みて貢上(タテマツ)れ」と。

(中略)

十二年夏四月 詔して、文武の官に教え、軍事を習い努めしめ、兵馬の器械を具え、馬有る者を以て歩卒と為し、以て時に検閲す。

馬工(ウマタクミ)連刀伎雄を以て、但馬国の兵官(ツワモノノツカサ)と為し、操馬の法を教えしむ。その地を名づけて、馬方原(三方郷は馬方郷の転訛)と云う。

十三年三月、馬方連刀伎雄は、その祖、平群木菟宿禰命を馬方原に祀り、馬工(ウマタクミ)神社と称えまつる。

(馬工村 今の観音寺村社 馬止神社)

馬止神社 豊岡市日高町観音寺700

伝へ云ふ天武天皇12年(683)夏4月詔ありて文武百官を教へ勤めて諸国に軍事を習はしむ此時馬工連刀伎雄を以て但馬国の兵官となし操馬の法を教へしむ其の地を名づけて馬方原と云ふ是れ即ち今の三方村一帯の地名なり

天武天皇13年(684)3月馬工連刀伎雄其組平群木免宿禰命を馬方に祀りて馬工神社と称す是今の馬止神社なり

然るに馬工を馬止と称せしは工と止との誤なる事記録によりて明なり

中古祭神を改め明治6年(1873)10月村社に列し同19年(1886)社殿を再建せり同20年(1887)社殿を改築せり。

-「兵庫県神社庁」-

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