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【地名地誌】 日高村(気多郡日置郷・高田郷・高生郷)

ジャンル-但馬の地名地誌 ▼ジャンル

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国司文書 但馬郷名記抄』 孝徳天皇大化2年、いわゆる大化改新による諸制度一新の詔勅に基づき、翌3年、本郡高田邑に兵庫を建て軍団を置く。

高田郷は高機郷なり。大初瀬幼武天皇(雄略)の御世十六年夏六月、秦の伴部を置く。養蚕・製糸(糹糹)の地なり。

矢集村(ヤヅメ、今の夏栗) 久斗 古くは久刀とも書す。 (郡是(グンゼ)日高工場が久斗にあったわけが分かった。遅いか。。。)

故に大兵主神、名は武搭神・鹿島神・香取神・物部神・大伴神らをこの処に鎮座す。軍団守護の霊神なり。 禰布(ネフ)・射楯(イダテ)・威田(ヰタ)

禰布(ネフ)はにょうと発音し、今の祢布(にょう)。 射楯(イダテ)は、石立(いしだち)村。今の国分寺区内字石立 威田(ヰダ)は井田神社の井田であるのは間違いないだろう。伊福(イウ)であり、今の鶴岡。

倭名類聚抄(倭名抄)に、 訓:多加多(タカタ) 23年紀、気多郡高田郷において但馬の国治を遷す。

弘安太田文に、高田郷田67町。地頭・高田忠貞。国分寺領34町。 但馬考に、今の高田郷 夏栗・久斗・禰(祢)布・石立・国分寺・水上の6邑(ムラ)。

日置郷(ヒオキ)

訓:比於岐 弘安太田文に、田146町。 但馬考に、 日置・多田(ノ)谷・伊福・上(ノ)郷・中(ノ)郷の5邑。

高生(タカフ)郷

訓・多加布(タカフ) 発音は「たこう」 弘安太田文に、田107町。 但馬考に、地下・岩井(今の岩中)・宵田・江原の4邑。

日高村

郷土誌日高村の「日高村の村名起源」に、日高村の村名起源について記されている。(現代文表記に修正した) 第三章 村名起源P6 「日高村は往時日置・高生・高田・気多・太田・楽前の6郷に分属していたが、近古、日置・高田2郷の頭文字を取りて日高村と改称するなり。」 とある。文章がややこしいが「日高村は往時(気多郡の・・・6郷」とすれば分かるので「気多郡の」が脱落していると考えられる。→日高村は日置と高田2郷の頭文字とする。

ところがP8に桜井舟山(勉)著『但馬考』を引用し、「日高村は往古これら各郷に分属していたが、近古、日置・高生両村の所属に帰し、しかして日置・高生両村をまた合したる事明らかなり。」も併記されている。 桜井勉は日置と高生の2郷の頭文字であるのは明らかだとしているが、上記の2説あり、近古(江戸時代)、日置郷と高生郷は人家は増え郷境が不明確になり、郷名は曖昧で同じ郷といっても差し支えないようだったとしても、日高村発足時は、高田郷も含んだものなので、狭い地域のみを指して日高村としたとするのは、桜井氏の憶測にすぎないと思う。

【沿革】 (明治14)、(高生郷)地下村、岩中村と合併 1889年(明治22)4月1日、気多郡日置郷と高田郷・高生郷がひとつになり、気多郡日高村発足。

1896年(明治29)4月1日、気多郡7村、美含郡8村が城崎郡に編入。両郡は消滅。 1925年(大正14)11月1日、城崎郡日高村が町制施行し日高町が発足。 1955年(昭和30)2月1日、養父郡宿南村が分割して、養父郡八鹿町新設。城崎郡日高町に赤崎・浅倉を編入。 〃   〃  ) 3月25日、日高町、国府村、八代村、三方村、西気村、清滝村が合併し、日高町が発足。 1958年(昭和33)1月1日 - 日高町上佐野地区が分町し豊岡市に編入。 1976年(昭和51)9月1日 - 日高町西芝字大向野の一部が豊岡市と境界変更。 2005年(平成17)4月1日 城崎郡城崎町日高町竹野町出石郡出石郡出石町但東町豊岡市が合併し新豊岡市が発足、郡より離脱。城崎郡出石郡は消滅。

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