但馬国ねっと風土記

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但馬国ねっとで風土記

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城崎(きのさき)

ジャンル-但馬の地名地誌 ▼ジャンル

国司文書・但馬故事記』第四巻・城崎郡故事記

天火明命はこれより西して谿間に来たり。晴明宮に駐まり、豊岡原に降り、御田を開き、垂桶天物部命をして、真名井を掘り、御田に灌がしむ。すならちその秋八握に莫々然。真名井を名づけて御田井と云う。のち小田井に改む。

(中略)

天火明命は、御子、稲年饒穂命を小田井県主と為し、稲年饒穂命の子、長饒穂命を美伊県主(のち美含郡)と為し、佐久津彦命に命じて、佐々前県主(のち気多郡)と為し、佐久津彦命の子、佐伎津彦命に命じて屋岡県主(のち養父郡)と為し、伊佐布魂命に命じて、比地県主(のち朝来郡)と為す。

(中略)

人皇10代崇神天皇9年秋7月 小江命の子、穴目杵命を黄沼前県主と為す。

(中略)

人皇17代仁徳天皇10年秋8月 水先主命の子、海部直命を以て、城崎郡司と為す。

『但馬世継記』に、城崎郡風土記作成の記録として、 元明天皇の御世、和銅7年(714) 黄沼前キノサキを改めて、城崎キノサキとなし、佳字ヨキジを用い、風土記を造る。

城崎郡 倭名類聚抄に載する郷6 新田・城崎(キノサキ)・三江・奈佐・田結(タイフ)・餘部

延喜式神名帳曰く城崎郡。21座、大1座、小20座

新田郷

太田文曰く長講堂領、新田庄

今の村数 江本・今森・鹽津(塩津)・立野 右新田庄 駄坂(ダサカ)・木内(キナシ)・篠岡・中谷・河谷・百合地 右 六方と云う。

城崎郷

太田文曰く長講堂領、城崎庄 今の村数 佐野・九日・妙楽寺・戸牧(トベラ)・大磯(オホゾ)・小尾崎 豊岡・野田・新屋敷・一日市・下陰・上陰・高屋・六地蔵

豊岡

豊岡は山の名なり。一に亀城(カメシロ)と云う。今の城地は、一郷の市場なりしを、中世開かる。今の新屋敷と云う所なり。

三江郷

太田文曰く上三江庄、下三江庄を鎌田庄という。 今の村数 庄境・鎌田・祥雲寺・法華寺・馬路(マヂ)・下ノ宮・梶原・火(日)撫(ヒナド) 右鎌田庄と云う。 山本・金剛寺・舟町・宮島・森・野上(ノジョウ) 右を今俗に田結庄(タイノショウ)と云うは、鶴城に田結庄左近将監の居られしより云いならわしたるなり。

奈佐郷

太田文曰く平等院領、樋爪(ヒツメ)庄。 中古より奈佐樋爪庄と称す。表米の三男をここに置かれしことは日下部の伝記に見ゆ。鎌倉の時、奈佐春高と云うものあり。朝倉高清の嫡子を養子として奈佐太郎高原と云う。これ奈佐氏の中興なり。山名の時、篠部伊賀守これに居る。

今の村数13 岩井・栃江・宮井・庄村・吉井・野垣・福成寺・大谷・内町・辻・目坂・船谷・河合

田結郷

今の村数 森津・瀧・新堂・岩熊・江野(ゴウノ)・伊賀谷 右 大濱(浜)庄と云う。 下鶴井・赤石・結(ムスブ)・戸島・楽浦(ササノウラ)・飯谷(ハンダニ)・畑上・三原 右 下鶴井庄と云う。

上山(ウヤマ)・簸磯(ヒノソ)・来日(クルヒ)・今津 右 灘と云う。

気比(ケヒ)・田結(タイ)・湯嶋・桃島・小島・瀬戸・津居山 右 気比庄と云う。

温泉

一本堂薬選続編曰く、但州城崎温泉、三数座ありて、(中略) 新湯 薬選曰く、この邦諸州、温泉極めて多し、しかして但州城崎新湯を最第一とす。(中略)

中湯 曰く2つあり。俗に瘡湯(カサユ)と云う。これは一切の瘡傷の類を早く癒やすゆえなり。(中略)

上湯 一つなり。中ノ湯の上に並んであり。(中略)

御所湯 2つあり。御所の名はいずれか確かならず。(中略)

曼荼羅湯 法華霊場記曰く、日眞師、北国御弘通の砌(みぎり)、但馬国湯島と云う所に赴き給う。ここの療湯湧き上がること甚だ強く、熱きことまた忍びがたし。故に病人たまたま行向へども、一足を入れし侍ることかなわず。師これを見給いて、やがて曼荼羅を遊ばして温泉に沈め給えば、それより滑然として和らぎ、病人四方よりつどい集まり、ひとえに眞師の徳行を貴ぶここを以って、今の世までも曼荼羅の湯といい侍りぬ。(中略)

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