但馬国ねっと風土記

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但馬国ねっとで風土記

専門家ではない視点からとらわれない最新の歴史から今を知る

養父(やぶ)・八鹿

桜井勉『校補 但馬考』には、 風土記曰く、古老伝え云う。この地その昔民家なくして竹藪(やぶ)のみ。故に藪と云う。今養父と云うはその訛りなり。この郡民家豊かにて、竹木多し。

この風土記とは『国司文書 但馬故事記』のことであろう。その第三巻・養父郡故事記に、但馬と養父・八鹿の名の起こりが記されている。

天火明命あめのほあかりは、また天熊人命あめのくまひとのみこと夜夫やぶに遣わし、蚕桑の地を相せしむ。天熊人命夜夫の谿間たにまに就き、桑を植え、蚕を屋岡やおかう。故れ此の地を谿間の屋岡原と云う。谿間の号これに始まる。(谿間は但馬たじまの古名) 天火明命はこの時浅間の西奇霊宮に坐す。(式内浅間神社天火明命は、佐伎津彦命に命じて、浅間原を開かしむ。佐伎津彦命は小田井にたたえ、これを御田にそそぐ。故れこれを稲栄大生原と名づく。(伊佐・大江原) 天火明命は大いに喜びて曰く「あな美うるし。長世なり。青雲弥生国なり」と。 故れ此の地を名づけて弥生やぶと云う。(中略)佐久津彦命の子・佐伎津彦命に命じて屋岡県主と為し、(屋岡は弥生の丘の義)

これによると、但馬の名づけとなった夜夫の谿間(谷間)は、伊佐・坂本から円山川と八木川が合流するあたりだろう。但馬はその前は「多遅麻・多遅摩」と書かれた。漢字のなかった時代に漢文でカナの代わりに漢字を当てた万葉仮名として用いたものなので、多遅麻が但馬に、夜夫がのちに養父という字が充てられたことにさほど意味は無いだろう。

倭名類聚抄に載する郷10 糸井・石禾(イサワ)・養父・軽部・大屋・三方・遠屋(トホヤ)・養耆(ヤギ)・浅間・遠佐(ヲサ) 以上10郷に、村数102あり。(石)高2万675石2斗7升5合

延喜式神名帳曰く、養父郡30座、大3座、小27座 夜夫坐(ヤブニイマス)神社五座、名神大2座、小3座 宇留波神社・水谷神社(名神大)・浅間神社・屋岡神社・伊久刀神社・楯縫神社 兵主神社男坂神社・伊佐都比古阿流知命(イキツヒコアルチ)神社2座 井上神社2座・手谷神社・板蓋(サカイノ)神社・保奈麻神社・葛神社・大與比神社 桐原神社・盈岡(ミツオカ)神社・更杵村代兵主神社御井神社・名草神社 杜内神社・和奈美神社・夜伎村坐山神社

糸井郷

太田文曰く法勝寺領、糸井庄。今は糸井谷を云う。村数8 朝日・竹ノ内・和田・市場・高生田・寺ノ内・林垣・室尾

石禾郷

太田文、分けて上下両庄とす。石禾上郷を土田(ハンダ)郷と号す。村数4 土田・寺谷・東谷・平野 基垣・藤和谷 2村 今は何れの地なるや分からず。

石禾下庄 これ今の石禾庄と称する地。村数7 高瀬・宮内・岡・法道寺・高田・堀畑・大塚 石禾村、那木谷村の2村 その地知らず。

養父郷

村数7 市場・鉄屋米地(カナヤメイジ)・口米地・中米地・奥米地・大薮・薮崎

軽部郷

太田文曰く、悲田院領、軽部庄 村数11 小城(コジョウ)・上(アゲ)・広谷・畑・稲津・上野・十二所 浅野・伊豆・左近山・玉見

三方郷

日下部系図に、三方江太夫清奉(トモ)と云うものあり。この地の下司なるべし。山名の時には、三方左馬助と云うものここにあり。 村数6 新津・宮垣(ミヤガイ)・樽見・上山(ウヤマ)・中村・夏梅(ナツメ)

大屋郷

太田文曰く、尊勝寺領、大屋庄 村数16 加保・市場・糸原・山路・笠谷・大杉・蔵垣(クラカイ)・筏・中間・横行・若杉(ワカス)・宮本・門野・須西(スサイ)・和田・明延(アケノベ)

遠屋(トオヤ)郷

これ今の建屋(タキノヤ)なり。建と遠と文字似たるゆえ、転写の誤るをそのまま仮名をつけたるなり。 太田文曰く尊勝寺領、建屋庄 日下部系図に、軽部六郎嫡孫・俊村と云うもの、建屋下司となる。鎌倉以前のことなり。 村数8 大坪・船谷・三谷・森・市場・長野・能座・持河内

養耆(ヤギ)郷

太田文曰く、悲田院領、八木庄 村数11 今は分かれて両庄とす。 高柳・市場・今瀧・三宅・大谷・萬久里(マクリ) 6村 須田庄と云う。 尾崎・関ノ宮・吉井・中瀬・出合 5村 羽山庄と云う。

八木古城

市場の後山にあり。上古、平氏の人ここに居しと云い伝えるは、この所の公文なとなるべし。鎌倉の時、表米の遠祖、日下部氏・朝倉高清入道、平氏を滅ぼしてその次男をここに置く。それより子孫は八木氏と称す。武家系図に、朝倉として載せしは、八木家なり。山名のこの国を領せしより、その家臣となり、国老四人の一つなり。その時、城をこの山に築きておれり。応仁の乱後、山名家衰微す。それより八木氏は一諸侯のごとし。領地は因幡の辺りまで及び、四万石となりしと云い伝えり。(中略)

浅間郷 村数12 上小田・下小田・伊佐・坂本・大惠(大江)・岩崎・浅間・宿南・青山・深谷・赤崎・浅倉 今は宿南ノ庄と云う。しかし弘安の頃、数ケ庄に分かれたるは、一郷をすべて宿南庄と 云うは、謂れなきことなり。

遠佐(オサ)郷 村数11 分けて両庄とす。 網場(ナンバ)・舞狂(ブキョウ)・朝倉・米里(メイリ)・国木(クノギ)・小山 朝倉庄と云う。 八鹿(ヤオカ)・九鹿(クロク)・小佐(オサ)・石原・火畑(今の日畑) 小佐庄と云う。

以上

【沿革】

八鹿町

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い養父郡八鹿村、高柳村、伊佐村、宿南村が成立。 1913年(大正2年)1月1日 - 八鹿村が町制施行して八鹿町となる。 1955年(昭和30年)2月1日 - 八鹿町、高柳村、伊佐村と宿南村の一部が合併し、新たな八鹿町が発足。宿南村の残部は城崎郡日高町(現豊岡市)へ編入。

養父町

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により養父郡養父市場村、広谷村、建屋村が成立。 1927年(昭和2年)4月15日 - 広谷村が町制施行して広谷町となる。 1940年(昭和15年)12月11日 - 養父郡養父市場村が町制施行して(旧)養父町に改称。 1956年(昭和31年)9月30日 - 広谷町と建屋村が合併して明神町となる。 1957年(昭和32年)3月31日 - 明神町が(旧)養父町を編入。同日付で(新)養父町に改称。

大屋町

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により養父郡口大屋村,大屋村,南谷村,西谷村が成立。 1955年(昭和30年)3月31日 - 口大屋村、大屋村、南谷村、西谷村が合併して大屋町が発足。

関宮町

1889年(明治22年)4月1日 - 市制町村制施行により養父郡関宮村と七美郡熊次村が成立。 1896年(明治29年)4月1日 - 七美郡が二方郡と合併して美方郡となる。 1956年(昭和31年)8月1日 - 養父郡関宮村と美方郡熊次村が合併して関宮町が誕生。

養父市

2004年 4月1日、養父郡八鹿町、養父町、大屋町、関宮町の4町が合併して養父市となる。 7月4日、市章を制定する。

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