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「瀬戸の岩戸」を切り開いた国造り伝承は縄文海進だった

第一章 黎明編

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黄沼前海(キノサキノウミ)

縄文時代の豊岡盆地 (Mutsu Nakanishi さんよりお借りしました)

天日槍(あめのひぼこ)

天日槍(あめのひぼこ、以下ヒボコ)は、但馬国一の宮・出石(いずし)神社のご祭神で、但馬に住んでいる人なら知らない人はまずいないだろう。(以下、ヒボコ)

ヒボコは、出石神社由緒略記には、その当時「黄沼前海きのさきのうみ」という入江湖だった円山川の河口をふさいでいた瀬戸の岩戸を切り開いて干拓し、豊岡盆地を耕地にしたと記されている。

”国造りにまつわるお話” アメノヒボコ但馬国を得た後、豊岡(とよおか)周辺を中心とした円山川まるやまがわ流域を開拓したらしい。そして亡くなった後は、出石神社いずしじんじゃの祭神として祭られることになった。 但馬一宮の出石神社は、出石町宮内にある。この場所は出石町の中心部よりも少し北にあたり、此隅山このすみやまからのびる尾根が出石川の右岸に至り、左岸にも山が迫って、懐のような地形になっている。神社はその奥の一段高い場所に建っている。 このあたりから下流は、たいへん洪水が多い場所である。2004年におきた台風23号による豊岡市の大水害は記憶に新しいところだが、出石神社のあたりを発掘してみると、低湿地にたまる粘土や腐植物層と、洪水でたまった砂の層が厚く積み重なっている所が多い。 そんな場所であるから、古代、この地を開拓した人々は、非常な苦労を強いられたことだろう。『出石神社由来記』には、アメノヒボコが「瀬戸の岩戸」を切り開いて、湖だった豊岡周辺を耕地にしたと記されているという。そのアメノヒボコは、神となって今も自分が開拓した平野をにらんでいるのだ。 去年の伝説紀行に登場したアメノヒボコノミコトは、但馬の国造りをした神様(人物?)でもあった。けれども但馬地方には、ほかにも国造りにまつわるお話がいくつか伝えられている。各々の村にも、古くから語り継がれた土地造りの神様の伝説があったのだ。 太古、人々がまだ自然の脅威と向かい合っていたころから、それを克服して自分たちの望む土地を開拓するまでの長い時間の中で生まれてきたのが、そのような神様たちの伝説なのだろう。「五社明神の国造り」や「粟鹿山(あわがやま)」の伝説は、そんな古い記憶をとどめた伝説のように思える。

兵庫県歴史博物館 ひょうご伝説紀行 - 神と仏 ‐

また、豊岡市の小田井懸神社に伝わる五社明神の国造りも、土地を治める五人の神様が円山川のものすごく大きな河口の岩を切り開いて開削したと伝える。

小田井懸神社 「五社明神の国造り」 (豊岡市小田井)

大昔、まだ豊岡とよおかのあたりが、一面にどろの海だったころのことです。 人々は十分な土地がなくて、住むのにも耕すのにも困っていました。そのうえ悪いけものが多く、田畑をあらしたり、子供をおそったりするので、人々はたいへん苦しんでいました。この土地を治める五人の神様は、そのようすを見て、なんとかしてもっと広く、住みよい所にしたいものだと考えました。 そこで神様たちは、床尾山とこのおさんに登って、どろの海を見わたしてみました。すると、来日口くるひぐちのあたりに、ものすごく大きな岩があって水をせき止めています。 「あの大岩が、水をせき止めているのだな」 「あれを切り開けば、どろ水は海へ流れるにちがいない」 「そうすれば、もっと広い土地ができるだろう」 「それはよい考えだ。どろの海がなくなれば、たくさんの人が安心して暮らせる」 神様たちはさっそく相談して、大岩を切り開くことにしました。 大岩を断ち割り、切り開くと、どろ海の水はごうごうと音を立てて、海の方へ流れ始めました。神様たちはたいそう喜んで、そのようすを見ていました。 ところが、水が少なくなり始めたどろ海のまん中から、とつぜんおそろしい大蛇だいじゃが頭を出して、ものすごいうなり声を上げながら、切り開かれた岩へ泳ぎはじめました。そして、来日口に横たわって水の流れをせき止めてしまったのです。 神様たちはおどろきました。 「この大蛇は、どろの海の主にちがいない」 「これを追いはらわねば、いつまでたっても水はなくならないぞ」 神様たちがそろって、大蛇を追いはらおうとすると、大蛇はすぐにどろにもぐってにげてしまいます。あきらめてひきあげると、大蛇はまたあらわれて、水をせき止めてしまいます。神様たちはたいそうおこりました。 すきをみて大蛇に飛びかかり、神様たちは、とうとう大蛇を岸に引きずり上げてしまいました。そして頭と尻尾しっぽをつかんで、まっぷたつに引きちぎろうとしましたが、大蛇もそうはさせまいと大暴れします。それどころか、太くて長い体を神様たちに巻き付けて、しめころそうとするのでした。 五人の神様と大蛇は、上になったり下になったりしながら、長い間戦いました。大蛇が転がるたびに、地面は地震じしんのようにゆれます。けれども五人が力をあわせ、死にものぐるいでたたかいましたので、大蛇もしだいにつかれてきました。そこで神様たちが、大蛇の頭と尻尾にとびかかって、えいっと力をこめて引っ張りますと、さしもの大蛇も真っ二つになってしまいました。 こうして、どろの海の水は全部日本海へと流れ出し、後には豊かな広い土地が残りました。そしてどろの海のまわりにはびこっていた悪いけものたちも、みなにげ出してしまいましたので、人々はたいへん喜び、それからは安心して暮らせるようになったということです。 このできごとをお祝いして、毎年八月に、わらで大蛇の姿をした太いつなをつくり、村人みんなでひっぱってちぎるというお祭りが、行われるようになったということです。

兵庫県歴史博物館 ひょうご伝説紀行 - 神と仏 ‐

国司文書 但馬故事記』(第四巻・城崎郡故事記)には、こう記されている。

人皇17代仁徳天皇10年秋8月、水先主命みずさきぬしのみことの子・海部直命あまべのあたえのみことをもって、城崎郡司きのさきぐんじ兼海部直あまべのあたえと為す。

海部直命は諸田の水害を憂い、御子みこ・西刀宿祢命せとのすくねのみことに命じて、西戸水門せとすいもんを浚渫しゅんせつせしむ。

故に御田多生さわなるゆえ、功有るという。海部直命は水先主命を深坂丘に葬る。(式内深坂神社)

*浚渫…港湾・河川・運河などの底面を浚(さら)って土砂などを取り去る土木工事のこと

縄文海進と日本列島の誕生

「縄文海進」とは、約7000年前ころ(縄文時代に含まれる)に氷河時代が終わると、氷が溶けて海水面が上がり、現在に比べて海面が2~3メートル高くなり、この時代には日本列島の各地に複雑な入り江をもつ海岸線が作られた。その後海面は現在の高さまで低下し、 かつての入り江は堆積物で埋積されて、現在水田などに利用されている比較的広く低平な沖積平野を作った。大陸から日本列島が離れて現在とほぼ同じ地形になる。

気温が上昇し、暖流が日本海に流れこんだので、いままで針葉樹が多かった日本列島にクリやドングリなど食べられる実をつける広葉樹が増えた。やがて山々が実り、豊かな植物採集の場になったのである。

最終氷期の最寒冷期後、約19000年前から始まった海面上昇は、河川が上流から運んでくる土砂の堆積による沖積層より速かったので、日本では最終氷期に大河によって海岸から奥深くまで浸食された河谷には海が入り込んでいた。

各地にある国生みや入り江開削の神話・伝承は、地球温暖化による縄文海進が神懸かり的な現象と見えて伝わったのではないでしょうか。

兵庫県北部最大の河川である円山川まるやまがわが日本海に注ぐ河口から国府平野以北の円山川流域は水面下であった。『国史文書別記・但馬郷名記抄』によれば、その頃の豊岡盆地と国府平野部は、「黄沼前海きのさきのうみ」といわれる入り江(潟湖)であった。豊岡市塩津や大磯おおぞという地名や、円山川の支流大浜川一帯は森津から江野まで入江で、小江神社のある江野も古くは小江といった。田結郷大浜荘といった。奈佐も古くは渚郷が奈佐郷となったもので入江の渚からきているのだろう。東岸も同様で、「黄沼前郷は古くは黄沼海なり。昔は塩津大磯より下(しも)、三島に至る一帯は入江なり。 黄沼は泥の水たまりなり。故に黄沼というなり。

この章ではくわしく触れないが、平安期に編纂された『国史文書別記 但馬郷名記抄』城崎郡をみると、当時の地形の名残が読み取れる。

新墾田にいはりた郷(新田郷) 江岸(今の江本)・志保津(今の塩津)・清明

黄沼前郷(のち城崎郷・豊岡旧市街地) 黄沼島

田結郷 大浜・赤石島・鴨居島・結浦島・鳥島(としま・今の戸島)・三島・小島(おしま)・小江(今の江野)・渚浦・干磯(ひのそ)浜・打水浦・大渓島(今の湯島?)・茂々島(今の桃島)・戸浦など

出石郡出石郷 出島(のち伊豆・嶋)

城崎郡出石郡円山川およびその支流域には、ずいぶん島や入江がついた地名が多く見受けられる。なかには現在のどこに相当するのか見当がつかない地名もある。平安期にはこうした島・入江があったのか、昔の地名がまだ残っていたのか、平安時代にも、平安海進という、8世紀から12世紀にかけて発生した大規模な海水準の上昇(海進現象)があったようだ。ロットネスト海進とも呼ばれているが、日本における当該時期が平安時代と重なるためにこの名称が用いられている。

2012年1月6日

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