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第二章 天火明命編 丹生(にゅう)と日本海水銀ベルト

第二章 天火明命

[wc_skillbar title="丹生(にゅう)と日本海水銀ベルト" percentage="100" color="#e45e32"] (丹色) [catlist id=589]

丹波国は、古くは但馬・丹後を含む大きな国だった。

『但馬故事記』は、天照国照彦櫛玉饒速日天火明命が、この国を国作大巳貴命に授かり、妃・天道姫命とともに坂戸天物部命他、11人等の臣を引き連れて、天磐船に乗り、田庭の真名井原に降りるところから始まる。 これより先に豊受姫命高天原より降り、伊邪那子岳にいて、農耕を営んでいた。(式内比沼麻奈為神社京都府京丹後市峰山町久次 伊邪那子岳は比沼麻奈為神社後方の山。籠神社奥宮 真名井神社の説もある。) 「永世なり。青雲志楽国」という。故にこの地を名づけて、志楽国と云う。(今の舞鶴市志楽がある)

田庭(たには)と書いて発音は「たにわ」。いつからかは分からないが、早い頃に丹波と書いて「たんば」と読むようになった。丹の字を用いるようになったきっかけに因果関係があるとは聞いいたことがないが、丹生(にゅう)という地名と神社が、近畿地方奈良県和歌山県をはじめ、日本海側の若狭から丹後、但馬にかけて多いことは、丹の字を用いる理由に関係があるのではかろうか。丹波の「波」は日本海を連想する。 丹生(にゅう)とは何か。

丹は血の色でもある朱のことで、これは、活力と蘇生、死との対決、死霊封じ、太古の人々は朱を呪術具とした。丹色は日の丸にも使われ日本を代表する赤色。ただし、今の国旗色は、法律では「紅色」となっており、JIS慣用色名ではマンセル色体系で 3R 4/14 であるが、より明色に見える朱色系の金赤(同 9R 5.5/14)が使われることも実際には多い。

葬る遺体に施朱をする風習があった。再生を願い、死霊を封じるこの風習は、北海道南半部から東北北部と九州北部の二ヶ所で、縄文後期に登場した。九州では弥生時代に引き継がれていったが、北部では終焉してしまった。

日本海に多い丹生地名

丹生とは朱(しゅ)のことで赤土と水銀が採れた場所である。 福井県嶺北地方の西部にも丹生(にゅう)郡がある。全国的に朱の原料の辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には丹生、丹生川、丹生神社が同じように分布している。

かつて、「日本海側にある似た地名」でくわしく書いたので簡単に述べると、若狭湾一体から但馬北部には丹生に因む地名や天日槍ゆかりの神社などの新羅加耶系神社が多い。

越前市丹生郷町(ニュウノゴウチョウ) 福井県丹生郡福井市福井県三方郡美浜町丹生 丹生神社 福井県小浜市遠敷(オニュウ)、丹生、丹布 丹生神社 舞鶴市大丹生(オオニュウ) 舞鶴市浦入(『加佐郡誌』には浦丹生(ウラニュウ)(大丹生と隣同士の集落) 浦入遺跡 5世紀の鉄製品が出土する日本海側最古の鍛冶炉(5世紀後半)と奈良~平安時代の製塩炉・鍛冶炉遺跡、杉の丸木舟(5300年前のもの。わが国最古・最大級といわれる外洋舟である。)

また丹生に似た発音の「ニョウ」という地名が多い。 祢布村があった(舞鶴市赤野) 舞鶴市女布(ニョウ)

京丹後市久美浜町女布(ニョウ) 式内賣布神社

京都府京丹後市網野町木津 式内 売布神社久美浜町女布 式内 売布神社の山の反対側)

豊岡市日高町祢布(ニョウ) 但馬国国分寺が置かれていた。式内賣布神社 兵庫県美方郡香美町香住区丹生地(ニウジ) 丹生神社

朱の原料

天然の赤鉄鉱を砕いた鉄丹(ベンガラ)は縄文早期、同じく辰砂を砕いて得る水銀朱、他に鉛丹等が主な原料である。辰砂は硫化水銀である。常温で液体の水銀は、天然に存在するが、多くは辰砂を製錬して入手する。

朱の意味 日本と西洋

万葉の時代、朱と白が祖先達の愛好する色彩であり、今日の我々の意識にも入っている。国旗の日の丸は言うにおよばず、巫女の装束、祝事の紅白の垂れ幕がその典型であろう。 歌人は、朱・赤の色を〈にほふ〉〈てる〉〈ひかる〉〈はなやか〉と詠い、白〈きよし〉〈さやけし〉〈いちしろく〉と詠じた。

赤という字は,大と火を組み合わせたもので、日本語の〈あか〉は〈あけ〉と同じで (夜明けの〈あけ〉,あかつきの〈あか〉),太陽と結びつく。 一方、赤を意味するヨーロッパ語の多く (red, rot,rouge,……) は,血を語源とする。流石に殺し合いの民を思わす。

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