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第二章 天日槍の足取りと神社 5 出石神社 8種ものご神宝の謎

5 出石神社 8種ものご神宝の謎

なぜ8種ものご神宝が祭神として祀られているのか?

神社のご祭神は、神社に山や岩、川、火、雷など自然の神を神格化したものはあるが、出石神社は天日槍命を祭神とするのではなく、八種の神宝を伊豆志八前大神とし、合わせて天日槍命を祀る。天日槍命より八種の神宝をまず祀っている。

延喜式神名帳では伊豆志坐神社八座とあるので、八座は八種の神宝を意味し、天日槍命は加えられていないのか? このような例はあまりなく、しかも八坐(八種)は多すぎるのだ。なぜ八種ものご神宝が祭神として祀られているのだろう?

国史文書 但馬故事記(第五巻・出石郡故事記)は、人皇7代孝霊天皇38年夏6月、天日槍命の子、天諸杉命を以て、多遅麻国造と為す。天諸杉命は、丹波国造真太味間命の娘、前津見命を娶り、天日根命を生む。

40年秋9月、天諸杉命は、天日槍命を出石丘に斎き祀り、且つ八種神宝を納む。

人皇11代垂仁天皇88年秋7月朔(陰暦の1日)、(天皇は)群臣に勅して曰く。

「我は尋ねたい。むかし新羅王・天日槍命が初めて帰来した時に携えてきた宝物が、いま多遅麻国の出石社(出石神社)にあると聞く。我はこれをぜひ見てみたい。持って参れ。」

群臣はこの勅を受けて、使いを多遅麻に遣わし、清彦(多遅麻国造)にこれを奉った。 清彦はそれに応じ、 羽太玉 一個・足高玉 一個・鵜鹿々赤石玉 一個・出石刀子(とうす)*1 一口・出石杵(桙ほこの誤記ではないか?) 一枝・日鏡 一面・熊神籬 一具・射狭浅太刀 一口 を携え皇都に上った。

(*1 刀子(とうす) 削るなど加工の用途に用いられる万能工具)

清彦は、しばらくして神宝を奉ったが、ひとつの神宝は祖先に対して申し訳がないと、出石刀子を中*2に隠し、残りを献上した。

天皇は大いに歓喜し、酒饌(しゅせん・酒と肴)を清彦に振る舞った。たまたま出石刀子が中からこぼれ、帝の御前にあらわれた。

(*2 中 検索で見当たらないので、儀礼的に立派な包みの意味では、あるいは胸元か)

天皇はこれを見て清彦に申された。

「その刀子は、何の刀子であるか?」

清彦は隠すことができず「これもまた神宝の一つでございます」と申し上げた。

天皇は「神宝はすべて渡しなさい」と云われたので、他の神宝と共に宝庫に納めた。 それから後、天皇が宝庫を開かせると、刀子がなくなっている。使いを多遅麻に遣わして、これを清彦に問うた。

清彦は「一夜して刀子が私の家に至っていました。これを神庫に納め、翌朝はこれを改めておりません。」

天皇はこれを聞いて、その霊異をかしこみ、強いて求めることはしませんでした。 その後、刀子は自ら淡路(島)に至った。

島人は祠を建ててこれを祀った。これを世に剣ノ神と云う。*3

天清彦命は、大和・当麻の咩斐毘売命たぎまひめのみことを娶り、 多遅麻毛理命たぢまもりのみこと(第6第多遅麻国造・『日本書紀』では田道間守)・多遅麻日高命たぢまひたかのみこと(第7代多遅麻国造)・須賀諸男命すがのもろおのみこと(初代出石県主)・須賀竈比咩命すがのかまひめのみことを生む。

*3 出石神社(生石おいし神社とも言う。良湊神社が管理) 兵庫県洲本市由良生石崎

国史文書 但馬故事記 註解』の吾郷清彦氏は、出石郡故事記の巻末に「天日槍の出自と倭韓一国説」を取り上げている。

本郡記(出石郡故事記)は、まことに神功皇后すなわち息長帯比売命の母系先祖との関係、および稲飯命の子孫と称せられる新羅王の系譜についても相当詳しい叙述を行っている。 (中略)稲飯命の子孫と伝える記録を事実とすれば、これは血族の里帰りというべきであろう。

なぜ、崇神・垂仁、神功皇后の条になると、但馬がにわかに記紀に登場してくるのだろうか。また、出石はそれまで出雲系の県主が出石を治めていたのに、天日槍が突如登場し、しかも初代多遅麻国造になって丹波から分立して但馬国が出来る。脈略がつながらず人為的である。

INDEX
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