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第一章 2 なぜ「天」の日槍なのか

2.なぜ「天」の日槍なのか

日本書紀』は、天日槍(あめのひぼこ)について詳しくは記していない。 しかし、なぜ、天日槍は、新羅の王子としながら、例外的に天皇家を表す天津神である「天」の日槍としたかが疑問だ。『日本書紀』は天日槍を、皇統以外の新羅の皇子=渡来人とするならば、天日槍にだけ例外的に皇統である「天」の名をそう簡単に名乗らせるはずはないのだ。皇室との婚姻などはないし、皇室から皇女が下る場合は、一般の身分となる。

渡来人として朝廷に宗教や文化を伝え帰化した氏族には、秦はた氏、東漢氏 (東文氏)氏やまとのあやうじ、西文氏かわちのふみうじなどがある。朝廷は彼らを重用はしたが、王権への従属・奉仕、朝廷の仕事分掌の体制である部民(制)である職人部としてで低い。女性を妃に迎えることはあっても、男系の天皇家が、血筋の違う男子に「天」の称号を与えられたりはしない。

天日槍(あめのひぼこ)は「日槍」と書かれていたり、「日矛」とも記されている。 あめのひぼこを、『日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」、他文献では「日桙(ひぼこ)」「海檜槍(あまのひぼこ)」とも表記される。『古事記』『日本書紀』では、矛・槍・戈の三者の区別は必ずしも明確ではなく、すべて「ほこ」と読まれている。

日本書紀』では「天日槍」と書いて、槍を無理に「ほこ」と読ませている。なぜそうしたのかは不明だが、研究者のなかには、漢字に執着して解釈しようとする人が多いように感じる。

たとえば、八種の神宝になぞらえて一字ずつに分けて、

天…海、海部のあま 日…日鏡 太陽、鏡 槍…出石桙 出石の太刀 刀、武器

と解釈する人がいる。

しかし祭神の神号の意味をよく理解されているとは思えない。元々神道は海・山・川などを畏敬の対象の神体とする自然崇拝から始まったものであり、初期の神社では、そこに祀られる神には特に名前はないか、不詳であった。鎌倉時代末期になると、仏教による本地垂迹説に対する神本仏迹説が主に武家に支持されて隆盛となり、祭神も、その神徳に合わせて地名・社名から日本神話に登場する神、あるいは「命・尊」「彦・比古」「姫・媛・比売」などをつけた人格的な神に移行するようになった。

天津神国津神」 日本神話に登場する神には、大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神」、天照大神などがいる高天原の神、または高天原から天降った神々を「天津神」という。ただし、高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている。

記紀万葉集などでも、祭神の名が記されているのは伊勢神宮住吉神社などごくわずかであり、ほとんどの神社の祭神は、鎮座地名や神社名に「神」をつけただけの名前で呼ばれていた。 天は海ではない。神社の御祭神をみれば分かることだが、天皇や皇室の神(天津神)のみがつけることが許される号で、天津神の天であり、皇室以外に冠せることなどないと考える。皇室以外の豪族や地方の神は「国津神」とされ、天津神と区別される。

天が最初に付く神々は、天津神で天とは高天原をさす。 海や海部を表す海神なら、海部日槍命、または地名とともに出石日槍命などとなるはずである。

まして渡来人の東漢氏や西文氏が帰化して漢字伝授などで文官に招かれることはあったが、決して朝廷内では高い身分は与えられていなかった。まして但馬国という一地方の国造に、新羅の渡来人であろうとなかろうと、皇室ではない一地方の御出石県主太耳命の娘、麻多鳥(またお)命を娶ったからといって、天日槍命とあり得ないのである。なぜ、天日槍は、新羅の王子としながら、例外的に皇室を表す「天」の日槍と名乗ることが許されたのだろうか。それは次項で述べたいが、天皇の血筋であったからに他ならないのである。

日槍を八種の神宝を意味するというのは、納得できるが、

日本書紀垂仁天皇3年3月条 七種の神宝

  • 羽太の玉(はふとのたま) 1箇
  • 足高の玉(あしたかのたま) 1箇
  • 鵜鹿鹿の赤石の玉(うかかのあかしのたま) 1箇
  • 出石の小刀(いづしのかたな) 1口
  • 出石の桙(いづしのほこ) 1枝
  • 日鏡(ひのかがみ) 1面
  • 熊の神籬(くまのひもろき) 1具

日本書紀』別伝 八種の神宝

  • 葉細の珠(はほそのたま)
  • 足高の珠
  • 鵜鹿鹿の赤石の珠
  • 出石の刀子
  • 出石の槍
  • 日鏡
  • 熊の神籬
  • 胆狭浅の大刀(いささのたち)

日槍は八種の神宝に由来しているとするならば、『日本書紀』別伝には胆狭浅の太刀はあるが、垂仁天皇3年3月条では7物では槍や太刀は含まれていないではないか。これをどう説明できるのであろう。出石の小刀(垂仁3月条)、出石の刀子(別伝)とあるが、脇差のような短刀というより、これは武器ではなく削る工具だ。

古事記』(応神天皇記)では次の7種で、矛または刀などの武器類はない。

  • 珠 2貫
  • 浪振る比礼(なみふるひれ)
  • 浪切る比礼(なみきるひれ)
  • 風振る比礼(かぜふるひれ)
  • 風切る比礼(かぜきるひれ)
  • 奥津鏡(おきつかがみ)
  • 辺津鏡(へつかがみ)

天日槍の槍=八種神宝の武器を表しているとするなら、『日本書紀』垂仁条や『古事記』(応神天皇記)には槍や矛・刀類は持参していないことをどう説明できるのであろうか。

青銅製武器の種類 矛(ほこ)と槍(やり)の違い

一方、考古学的には、矛(ほこ)と槍(やり)と戈(クヮ)とは区別される。

弥生時代の遺物としては、矛が多数出土しているが、槍はほとんど出土していない。福岡県前原市三雲から弥生後期とみられる石棺から出土した鉄の槍がみられる程度だ。

荒神谷博物館 にて拙者撮影)  左が槍、中央は銅鐸、右が矛

矛と槍の形状の違い

矛と槍は、槍や薙刀なぎなたの前身となった両刃の剣形の穂に、長い柄を付けた武器で、敵を突き刺すのに用いる。矛は先端が丸みを帯び鈍角の物が多いのに対し、槍は刃が直線的で先端が鋭角である。

また、矛は金属の穂の下部に中空の袋部があり、そこに枝の木を差し込むもの。それに対し、槍は金属の羽の部分に茎(なかご:木に差し込む部分)がついており、それを枝の木に差し込んで装着するものをさす。

装着方法

つまり、装着方法に違いがある。枝を金属の方に差し込むのが矛、金属を枝の方に差し込むのが槍である。 また、戈(くゎ)は、鳶口とびぐちの形のように、穂と直角に近い形で枝をつけるものをいう。農機具として平たい刃になったものが鍬である。戈は槍と同じく、茎を枝の木に差し込んで装着する。

剣と刀の違い

剣と刀の違いは、剣が両刃、刀が片刃であること。長い刀を大刀、短刀を刀子(長さ30cm以下)として使い分けている。奈良時代の頃までの刀は直刀で、湾曲した日本刀になるのは平安時代以降のことです。 滅ぼされた文化の象徴:広形銅矛と銅鐸

荒神谷遺跡・島根県出雲市斐川町(拙者撮影)

日槍と日矛

日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」の漢字が違う点は意味がない。槍を「ほこ」と読ませているのでアメノヒボコに間違いないが、アメノヒボコが日槍・日矛であっても、「記紀」で矛・槍の区別は必ずしも明確ではない。すべて「ほこ」と読まれているように、戦国時代の長い槍のような武器はまだ存在しておらず、槍は「ほこ」と読んでいた可能性もある。「かな」が存在しなかった頃の「記紀」のヒボコの漢字に深い意味はないようだ。

またアメノヒボコという名前は先にあった。それを後に伝来してきた漢字で表記するようになった時代である。初めての国史として、口伝を伝来してまだ間もない漢字に当てはめて書いたのだから、記紀においてでさえ、人名や神名に表わされる漢字は様々で、漢字自体にこだわりすぎる意味は薄いように思える。

日本書紀』は、天日槍(あめのひぼこ)について詳しくは記していない。 しかし、なぜ、天日槍は、新羅の王子としながら、例外的に天皇家を表す天津神である「天」の日槍としたかが疑問だ。『日本書紀』は天日槍を、皇統以外の新羅の皇子=渡来人とするならば、天日槍にだけ例外的に皇統である「天」の名をそう簡単に名乗らせるはずはないのだ。皇室との婚姻などはないし、皇室から皇女が下る場合は、一般の身分となる。

渡来人として朝廷に宗教や文化を伝え帰化した氏族には、秦はた氏、東漢氏 (東文氏)氏やまとのあやうじ、西文氏かわちのふみうじなどがある。朝廷は彼らを重用はしたが、王権への従属・奉仕、朝廷の仕事分掌の体制である部民(制)である職人部としてで低い。女性を妃に迎えることはあっても、男系の天皇家が、血筋の違う男子に「天」の称号を与えられたりはしない。

『古代日本「謎」の時代を解き明かす』長浜浩明氏に、

真弓氏は「三世紀代よりの、天日槍の名で象徴される帰化系技術者(韓鍛冶)の渡来によって技術革新がなされ、されに大量の鉄挺(金偏に廷・鉄の素材)も輸入される…」

だが、彼は技術者ではなく、日本に憧れ、玉、小刀、鉾、鏡、神籬を持って来た王子だった。『三国史記』と照らし合わせると、天日槍は但馬出身の新羅王(=倭人)の子孫だからこそ、彼は日本語を話し、神籬を持って故郷へやって来た可能性も否定できない。

としている。

INDEX
第一章 神話の中のアメノヒボコ [catlist id=603] 第二章 天日槍の足取りと神社 [catlist id=604] 第三章 ヒボコは鉄に無関係だった [catlist id=605] 第四章 ヒボコはいつ頃の人なのか [catlist id=608] 第五章 但馬国朝鮮半島南部への出兵基地だった?! [catlist id=607] 第六章 ヒボコは日本人だった [catlist id=606]
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