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第二章 2 天日槍の足取りと神社

2.天日槍の足取りと神社

[wc_box color="danger" text_align="left"] 天日槍の足取り [/wc_box] 天日槍(以下、ヒボコ)は但馬出石に安住の地を決めるまで、どういう足取りを辿ったのか。

日本書紀』、『播磨国風土記』にその足取りが記されている。

日本書紀』によれば、

船に乗って播磨国にとどまって宍粟邑しそうのむらにいた。天皇から「播磨国穴栗邑か淡路島の出浅邑 いでさのむらに気の向くままにおっても良い」とされた。

「おそれながら、私の住むところはお許し願えるなら、自ら諸国を巡り歩いて私の心に適した所を選ばせて下さい。」と願い、天皇はこれを許した。

ヒボコは菟道河うぢがは(=宇治川)を遡り、近江国の吾名邑あなのむら、若狭国わかさのくにを経て但馬国に住処すみかを定めた。近江国の鏡邑かがみむらの谷の陶人すえひとは、ヒボコに従った。

日本書紀』では次のルートである。 新羅-伊都国-播磨国宍粟邑-宇治川近江国吾名邑-若狭国但馬国

近江国と天日槍

足取りを残すようにゆかりの神社がある。

1.近江国 近江蒲生 鏡山神社「天日槍命滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289 2.近江国 近江栗太 安羅神社「天日槍命滋賀県草津市穴村町 4.越前国 敦賀   氣比神宮摂社角鹿神社「伊奢沙別命敦賀市曙町11-68 5.若狭国 若狭大飯 静志神社「天日槍命 今は少彦名命福井県大飯郡大飯町父 子46静志1 6.但馬国 但馬出石 出石神社伊豆志坐神社「出石八前大神、天日槍命兵庫県豊岡市出石町宮内字芝池

近江国 近江蒲生 鏡山神社「天日槍命滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289 滋賀県竜王町鏡 御祭神 「天日槍」

神社由緒には、 「新羅より天日槍来朝し、捧持せる日鏡を山上に納め鏡山と称し、その山裾に於て従者に陶器を造らしめる」とある。この辺りを「吾名邑」とし、「鏡邑の谷の陶人」の地とする条件はかなり揃っている。

滋賀県草津市には穴村町という地名が残り、「安羅神社」がある。 近江国 近江栗太 安羅神社「天日槍命滋賀県草津市穴村町 滋賀県草津市穴村町 御祭神 「天日槍」 神社由緒記には、 「日本医術の祖神、地方開発の大神を奉祀する」とあり、祭神は「天日槍命」とする。 「近江国の吾名邑」は、ここ「穴村」に比定する。天日槍が巡歴した各地にはそれぞれ彼の族人や党類を留め、後それらの人々が彼を祖神としてその恩徳を慕うて神として社を創建した。この安羅神社である。「安羅」という社名は、韓国慶尚南道の地名に同種の安羅・阿羅があり、天日槍を尊崇するとともに、故郷の地名に執着して社名にしたものと思われる。

滋賀県竜王町には「苗村神社(ナムラ)」が鎮座する。鏡山の東麓にある。吾名邑(アナムラ)という地名が苗村になったという。(景山春樹氏)鏡山の麓にあり、鏡邑に隣接していることからも、ここが吾名邑という。

米原市の旧近江町は旧坂田郡にあり、(市町村合併で、本当に説明がしにくい)、この辺りは「坂田郡阿那郷」と呼ばれていた。阿那郷が後に息長郷になった。(息長郷は神功皇后の関連地名である。) この阿那郷が「吾名邑」であるという。(金達寿「日本の中の朝鮮文化」からの引用。坂田郡史に書かれてあるらしい)。 米原市顔戸に「天日槍暫住」の石碑が立つ。

伊弉諾神社  米原市菅江(旧山東町)   この神社にはつぎのような口伝がある。 古老の伝に、村の南西大谷山の中腹に、百人窟という洞穴があり、息長族系の人々が住んでいた。阿那郷と呼ばれる渡来人の遺跡と思われる。これらの人々は須恵器を作って、集団生活が始まったという。この地は古代の窯業跡とも云われる。

息長氏おきながうじは古代近江国坂田郡(現滋賀県米原市)を根拠地とした豪族である。 『記紀』によると応神天皇の皇子若野毛二俣王の子、意富富杼王を祖とす。また、山津照神社の伝によれば国常立命を祖神とする。天皇家との関わりを語る説話が多い。姓(かばね)は公(または君、きみ)。同族に三国公・坂田公・酒人公などがある。

息長氏の根拠地は美濃・越への交通の要地であり、天野川河口にある朝妻津により大津・琵琶湖北岸の塩津とも繋がる。また、息長古墳群を擁し相当の力をもった豪族であった事が伺える。但し文献的に記述が少なく謎の氏族とも言われる。

1.竜王町

滋賀県竜王町には「苗村神社(ナムラ)」が鎮座する。鏡山の東麓にある。吾名邑(アナムラ)という地名が苗村になったという。(景山春樹氏)鏡山の麓にあり、鏡邑に隣接していることからも、ここが吾名邑という。

鏡山神社 滋賀県竜王町鏡 御祭神 「天日槍」 神社由緒には、 「新羅より天日槍来朝し、捧持せる日鏡を山上に納め鏡山と称し、その山裾に於て従者に陶器を造らしめる」とある。この辺りを「吾名邑」とし、「鏡邑の谷の陶人」の地とする条件はかなり揃っている。

2.草津市穴村説

滋賀県草津市には穴村町という地名が残り、「安羅神社」がある。 安羅(ヤスラ)神社 滋賀県草津市穴村町 御祭神 「天日槍」

神社由緒記には、「日本医術の祖神、地方開発の大神を奉祀する」とあり、祭神は「天日槍命」とする。「近江国の吾名邑」は、ここ「穴村」に比定する。天日槍が巡歴した各地にはそれぞれ彼の族人や党類を留め、後それらの人々が彼を祖神としてその恩徳を慕うて神として社を創建した。この安羅神社である。「安羅」という社名は、韓国慶尚南道の地名に同種の安羅・阿羅があり、天日槍を尊崇するとともに、故郷の地名に執着して社名にしたものと思われる。

(*兵庫県豊岡市出石いずし町袴狭はかざの近くに安羅に似た安良(ヤスラ)、伊豆志に通じる伊豆・嶋という地名がある。古くは合わせて出島いずしまと書く。天日槍垂跡の地『但馬故事記』)

「万葉集を携えて」近江国の吾名邑さんによると、 3.米原市(旧近江町)説

米原市の旧近江町は旧坂田郡にあり、(市町村合併で、本当に説明がしにくい)、この辺りは「坂田郡阿那郷アナゴウ」と呼ばれていた。阿那郷が後に息長オキナガ郷になった。(息長郷は神功皇后の関連地名である。) この阿那郷が「吾名邑」であるという。(金達寿「日本の中の朝鮮文化」からの引用。坂田郡史に書かれてあるらしい)。米原市顔戸に「天日槍暫住」の石碑が立つ。

伊弉諾神社  米原市菅江(旧山東町)   この神社にはつぎのような口伝がある。 古老の伝に、村の南西大谷山の中腹に、百人窟という洞穴があり、息長族系の人々が住んでいた。阿那郷と呼ばれる渡来人の遺跡と思われる。これらの人々は須恵器を作って、集団生活が始まったという。この地は古代の窯業跡とも云われる。

息長氏おきながうじは古代近江国坂田郡(現滋賀県米原市)を根拠地とした豪族である。 『記紀』によると応神天皇の皇子若野毛二俣王の子、意富富杼王を祖とす。また、山津照神社の伝によれば国常立命を祖神とする。天皇家との関わりを語る説話が多い。姓かばねは公(または君、きみ)。同族に三国公・坂田公・酒人公などがある。

息長氏の根拠地は美濃・越への交通の要地であり、天野川河口にある朝妻津により大津・琵琶湖北岸の塩津とも繋がる。また、息長古墳群を擁し相当の力をもった豪族であった事が伺える。但し文献的に記述が少なく謎の氏族とも言われる。

息長宿禰王おきながのすくねのみこ(生没年不詳)は、2世紀頃の日本の皇族。第9代開化天皇玄孫で、迦邇米雷王かにめいかずちのみこの王子。母は丹波之遠津臣の女・高材比売たかきひめ。神功皇后の父王として知られる。気長宿禰王とも。 王は河俣稲依毘売かわまたのいなよりびめとの間に大多牟坂王おおたむさかのみこ、天之日矛の後裔・葛城之高額比売かつらぎのたかぬきびめとの間に息長帯比売命おきながたらしひめのみこと、虚空津比売命そらつひめのみこと、息長日子王おきながひこのみこを儲ける。息長帯比売命は後に神功皇后と諡される。

王は少毘古名命・応神天皇と並び滋賀県米原市・日撫神社に祀られている。 天日槍は近江国の吾名邑(あなのむら・滋賀県草津市)にいたとされるので、息長宿禰王とひ孫の葛城之高額比売も同族は親戚かもしれない。 西野凡夫氏『新説日本古代史』の中で、通説では息長氏の本貫地が北近江であると考えられているが、それは間違っている。本貫地は大阪である。継体天皇を息長氏と切り離したのは、天皇家を大和豪族とは超越した存在として位置づけるための造作である、としている。

若狭・越前にヒボコゆかりの神社がある。

4.越前国一宮 気比(ケヒ)神宮

福井県敦賀市曙町11-68 越前国一宮、旧社格は官幣大社別表神社 主祭神 伊奢沙別命(イザサワケノミコト・気比大神) 「新羅の王子・ 天日槍(あめのひぼこ)を 伊奢(いざ)さわけのみこと沙別命として祭った」

式内 静志神社

福井県大飯郡おおい町父子46静志1 御祭神 「少名毘古名神天日槍命とする説もある

、『若狭国神名帳』に「正五位志津志明神」とある古社。鎮座地の父子(ちちし)は、静石の訛りで、但馬の出石と同じものだと考えられ、本来の祭神は、天日槍命とする説もある。

須可麻(すかま)神社

福井県三方郡美浜町菅浜 式内社 御祭神 「世永大明神(菅竈由良度美姫)」「麻気大明神」 『古事記』によると、菅竈由良度美姫は天日矛神の子孫であり、 神功皇后の祖母、応神天皇の曾祖母にあたる姫。 敦賀地方は、天日矛一族の渡来気化地とする説があり、 その子孫を祀った神社と考えられる。

ヒボコとツヌガアラシトは同一人物なのか?

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気比神宮境内社 式内 角鹿神社(福井県敦賀市) 御祭神 都怒我阿羅斯等命つぬがあらしと のみこと、松尾大神

谷川健一氏『日本の神々』の「天日槍とその妻」の中で、朝鮮からの渡来人の中で、記紀に最も取り上げられているのは天日槍(天日矛)であろう。(以下ヒボコ)

ヒボコは『日本書紀』の記述によって、ツヌガアラシトと同一人物と目される。

筑前国風土記逸文に「高麗の国の意呂山オロサンに、天より降りしヒボコの苗裔すえ、五十跡手イトテ是なり」とある。意呂山は朝鮮の蔚山ウルサンにある。意呂とは泉のこと意味するという。五十跡手は、『日本書紀』によれば、「伊都県主の祖」となっている。このようにヒボコの苗裔と称するものが、伊都国にいたという伝承は、ヒボコの上陸地が糸島半島であったことを物語る。

ツヌガアラシトはそれから日本海へ出て出雲から敦賀へと移動している。ヒボコは瀬戸内海を東遷したように思えるが、日本海から播磨の南部へ移動したという説もあって、その足跡を明瞭に辿ることは難しいが、ヒボコの妻の足取りは、ややはっきりしている。

古事記』にはヒボコの妻が夫といさかいしたあと、日本に逃げてきて、のちには難波なにはに留まり、比売碁曾ひめこそ神社(大阪市東成区)の阿加流比売神あかるひめのかみになったことを伝えている。

日本書紀』には、ツヌガアラシトの妻となっており、同じように日本にやってきてからは、難波の比売碁曾神社の神となり、また豊前国国前郡(大分県国東郡姫島(東国東郡姫島村))の比売語曾神社の神ともなって二か所に祀られている、と記されている。

福岡県糸島郡の前原町高祖たかすに高祖神社がある。もとは高磯たかそ神社と呼ばれ、ヒボコの妻を祀るとされていた。また大分県の姫島に比売語曾ひめこそ神祠(神のやしろ、ほこら)がある。先の『日本書紀』の記述に見える神社である。

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