但馬国ねっと風土記

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最初の但馬人

第一章 黎明編

豊岡市で考古学の先駆者として知られている但馬考古学研究会の故瀬戸谷晧氏は、HP「但馬最古の遺物を求めて」で、

「ひと昔前は但馬には本格的な旧石器時代の遺物はないと考えられていた。旧石器時代、すなわち土器製作を未だ知らない一万数千年以上も前のことを本格的に調査・研究しようとする人は但馬にはほとんどいなかった。

そんな実態を、たとえば一九七四年に刊行された『兵庫県史』本編のなかに探ってみよう。その一巻によると、県下の遺跡分布図に三八箇所に点が落とされているなかで、わずかに二点が記されていたのみである。それも、もっとも新しい時期の「尖頭器」出土地として、但東と養父の二町の遺跡が紹介されているだけである。」

最初の但馬人(たじまじん)

それでは、但馬で最も古くから人がいたのはどこだろう。

現時点では、兵庫県鳥取県境で氷ノ山の北、扇の山の東、兵庫県美方郡新温泉町畑ヶ平旧石器遺跡である。旧石器時代後期、同じく新温泉町海上東尾の上山旧石器遺跡と家野遺跡(旧石器/縄文集落跡)養父市別宮字家野(海抜6~700m、縄文早期までの集落跡複合遺跡)である。

2カ所は同じ中国山脈の山岳地帯で尾根でつながっている。人類は最初、山岳地帯から住み着いていたといえる。畑ヶ平(はたがなる)遺跡では、火山灰の下から約2万5,000年前の旧石器時代のナイフ形石器が発見された。見つかった石器や石材の種類はさまざまなので、人々が継続的に活動していた証だといわれる。ただし、ここは標高1,000mの高地であり、当時の気候は分からないが、季節を選んだ一時的な居住場所であったのではともいわれている。

家野遺跡(養父市別宮字家野 海抜6~700m)は、旧石器~縄文までの複合遺跡で、約8千年前の縄文時代早期の平地式住居跡・屋外炉跡・貯蔵穴・焼土抗・配石遺構が見つかっている。

兵庫県立考古博物館の遺跡データベースを調べてきた。その後、但馬の旧石器時代の遺跡の発見は増えている。

杉ケ沢遺跡第13地点 養父市関宮出合甲字轟野 西谷遺跡 養父市三宅字西谷 円光寺林遺跡 〃 古井字奥山 八木西宮遺跡 養父市八鹿町八木字西宮 大山田遺跡 〃

養父町と但東町で尖頭器が発見されている。、大屋町の上山高原で採集された一片の土器破片と、日高町神鍋ミダレオ遺跡(神鍋字笹尾・上野、標高330~360m-縄文早期までの複合遺跡)で見つかった爪型文土器、訓原古墳群、家野遺跡(旧石器/縄文集落跡)養父市別宮字家野(海抜6~700m、縄文早期までの複合遺跡)の2カ所です。

また、養父市関宮(せきのみや)町や豊岡市但東(たんとう)町で尖頭器が発見されています。また、上山高原遺跡(養父市大屋町上山字峯山、標高773mの御祓山から北東にのびる尾根の、標高480~520mの緩やかな斜面にで、一片の土器破片(縄文時代早期)が採集され、神鍋(かんなべ)遺跡(豊岡市日高町神鍋字笹尾・上野、標高330~360m-縄文早期までの複合遺跡)で爪型文土器が発見され、 鉢伏高原遺跡(養父市関宮町丹戸(たんど))で縄文時代前期前半の竪穴式住居跡、土坑、集積遺跡を検出した。尖頭器なども出土しました。 高柳ナベ遺跡(養父市八鹿町高柳)で発掘された遺跡は、縄文時代早期に土を掘った穴が1か所、古墳時代の竪穴住居跡が8棟、奈良時代掘立柱建物跡が21棟、古墳時代から平安時代にかけて粘土を掘った採掘坑等で、早い時期から連続した遺跡です。

兵庫県神戸市や瀬戸内側では旧石器時代の遺跡がかなり発見されいる。これは道路工事や開発により偶然見つかるケースからで、但馬に人が住み着くようになったのが比較的に遅いということにはならない。山岳地帯の多い但馬には、手付かずの旧石器人の足跡がまだまだ眠っているだろう。

但馬人のルーツと思われる旧石器人は、まだ日本列島が大陸と陸続きだった頃、獲物を求めて北からやってきたのか?地形的には兵庫県西部まで続く中国山地を、氷ノ山、鉢伏や神鍋を尾根づたいに西の方から獲物を追って移住してきたとも考えられる。

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