但馬国ねっと風土記

但馬国ねっとで風土記

専門家ではない視点からとらわれない最新の歴史から今を知る

第一章 1.天日槍(あめのひぼこ)の謎

1.天日槍(あめのひぼこ)の謎

f:id:kojiyamane:20170113091918j:plain

荒神谷博物館(左から銅戈・銅鐸・銅矛)

天日槍(あめのひぼこ、以下ヒボコ)は、但馬(たじま・兵庫県北部・旧国名)に住んでいる人なら知らない人はまずいない。新羅の王子で日本にやって来て、但馬・出石に留まり、帰化し初代多遅麻国造となる。但馬国一の宮・出石いずし神社のご祭神である。

日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」、他文献では「日桙(ひぼこ)」のほか「天日槍命」・「天日桙命」・「海檜槍(あまのひぼこ)」とも表記される。「記紀」は、天日槍命新羅の王子だとしている。

したがって、ヒボコは新羅国の渡来人で日本に帰化して、但馬は朝鮮半島南部にあった新羅と密接な繋がりがあった…というのが定説だ。

だが、私はだんだん疑問を持ち始めていた。 天日槍命は、新羅国の王子=新羅人なのか? 但馬を切り開いた初代の但馬国造が朝鮮から帰化した人なのか? 但馬には新羅の血が流れて朝鮮半島の渡来人がルーツにあるとすれば、本当にそうなのかである。

その主な疑問点は次のようなものであろう。

  • 突如、記紀新羅の王子として現れ、なぜ但馬に住み着いたのか?
  • 日矛だから=製鉄なのか?
  • なぜいきなり新羅からやって来て、帰化すると初代国造になれたのか?
  • なぜ、前代の御出石県主の娘と結婚できたのか?
  • 祭神名の頭に「天」が付けられるのは皇族の系統で「天津神」をあらわす。「天」の名を皇族以外なら号のれるだろうか?皇族以外の国人は「国津神」である。その国人にさえ天は与えないのに、もし新羅の王子なら、帰化人に授与しただろうか?
  • 新羅という国号が天日槍が渡来した時代と新羅建国が合わない。
  • 出石神社には、なぜ8種ものご神宝が祭神出石八前大神として祀られているのか?…神社に神宝を祭神として祀る例はあまりなく、しかも八種は数が多すぎる。
  • 日本書紀天武天皇4年(675年)条に国名がみえるので、7世紀頃に丹波国より8郡を分割して成立したと推定されているが、『但馬故事記』では第6代孝安天皇の御代なので紀元前300年前後に但馬国は成立していたことになる。

記紀」に描かれた天日槍

日本書紀』垂仁紀3年条(二十六)

昔有一人 乘艇而泊于年但馬國 因問曰 汝何國人也 對曰 新羅王子 名曰 天日槍 則留于但馬 娶其國前津耳女 一云 前津見 一云 太耳 麻拖能烏 生 但馬諸助 是清彥之祖父也

[現代語訳] 昔、ある人がいました。艇おふねに乗って但馬国に泊まりました。それで(但馬国の人がその船に乗っている人に)問いました。 「お前はどこの国の人だ?」 答えていいました。 「新羅の王(こしき)の子で、名を天日槍といいます」 但馬にとどまって、その国の前津耳(まえつみみ)、ある伝によると前津見(まえつみ)、ある伝によると太耳(ふとみみ)の、娘の麻拕能烏(またのお)を娶めとって但馬諸助(たじまのもろすく・但馬故事記は天諸杉命)を生みました。これが清彦(すがひこ・5代多遅麻国造)の祖父です。

日本書紀』では、垂仁天皇3年春3月、新羅の王の子であるヒボコが、羽太はふとの玉を一つ、足高あしたかの玉を一つ、鵜鹿鹿うかかの赤石あかいしの玉を一つ、出石いずしの小刀を一つ、出石の桙ほこを一つ、日鏡ひかがみを一つ、熊の神籬ひもろぎ[1]を一揃え謁見してきた。(八種神宝[2]) それを但馬の国に納めて神宝とした。

一説によると、三輪君(みわのきみ)[3]の祖先にあたる大友主(おおともぬし)[4]と、倭直(やまとのあたい)[5]の祖先にあたる長尾市(ながおち)[6]を遣わした。 大友主が「お前は誰か。何処から来たのか。」と訪ねると、ヒボコは「私は新羅の王の子で天日槍と申します。「この国に聖王がおられると聞いて自分の国を弟の知古(ちこ)に譲ってやって来ました。」

天皇は、初めは、播磨(はりま)国宍粟邑(しそうむら)[7]と淡路あわじの出浅邑(いでさのむら)[8]を与えようとしたが、 「おそれながら、私の住むところはお許し願えるなら、自ら諸国を巡り歩いて私の心に適した所を選ばせて下さい。」 と願い、天皇はこれを許した。ヒボコは宇治川を遡さかのぼり、北に入り、近江国の吾名邑(あなむら)、若狭国を経て但馬国に住処すみかを定めた。近江国の鏡邑かがみむらの谷の陶人すえびとは、ヒボコに従った。

但馬国の出嶋いずしま[*9]の人、太耳の娘で麻多烏(またお)を娶り、但馬諸助もろすくをもうけた。諸助は但馬日楢杵ひならきを生んだ。日楢杵は清彦すがひこを生んだ。また清彦は田道間守たじまもりを生んだという。

日本書紀』によると、ヒボコはひとりの童女アカルビメを追って日本にやってくるのであるが、その童女はヒボコに「私は親の国に帰る」と叫ぶのだ。しかし、ヒボコが同じ韓(加羅)の国の人であるなら、わざわざ同国の人のヒボコにあえて「親の国」という必要はないはずである。これはヒボコが伽耶任那)に渡った倭人で、ヒボコの先祖の国が日本列島にあったことを暗示しているのではいか。ヒボコの祖先の祖国は倭だといっているのかも知れない。

古事記応神天皇記では、その昔に新羅の国王の子の天之日矛が渡来したとし、アカルビメは、新羅王の子であるヒボコ(アメノヒボコ)の妻となっている。この話は『日本書紀』のツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等)来日説話とそっくりなのである。

[註]

*1…神籬(ひもろぎ)とはもともと神が天から降るために設けた神聖な場所のことを指し、古くは神霊が宿るとされる山、森、樹木、岩などの周囲に常磐木(トキワギ)を植えてその中を神聖な空間としたものです。周囲に樹木を植えてその中に神が鎮座する神社も一種の神籬です。そのミニチュア版ともいえるのが神宝の神籬で、こういった神が宿る場所を輿とか台座とかそういったものとして持ち歩いたのではないでしょうか。
*2…八種類 『古事記』によれば珠が2つ、浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼、奥津鏡、辺津鏡の八種。これらは現在、兵庫県豊岡市出石町の出石神社にヒボコとともに祀られている。いずれも海上の波風を鎮める呪具であり、海人族が信仰していた海の神の信仰とヒボコの信仰が結びついたものと考えられるという。
「比礼」というのは薄い肩掛け布のことで、現在でいうショールのことです。古代ではこれを振ると呪力を発し災いを除くと信じられていた。四種の比礼は総じて風を鎮め、波を鎮めるといった役割をもったものであり、海と関わりの深いもの。波風を支配し、航海や漁業の安全を司る神霊を祀る呪具といえるだろう。こういった点から、ヒボコ神は海とも関係が深いといわれている。
*3 三輪君(みわのきみ)…初めは姓(カバネ)の三輪君だったが、大神氏と名乗る。大神神社奈良県桜井市三輪)をまつる大和国磯城地方(のちの大和国城上郡・城下郡。現在の奈良県磯城郡の大部分と天理市南部及び桜井市西北部などを含む一帯)の氏族。天武天皇13年(684年)11月に朝臣姓を賜り、改賜姓五十二氏の筆頭となる。飛鳥時代の後半期の朝廷では、氏族として最高位にあった。三輪氏あるいは大三輪氏とも表記する。
*4 大友主(おおともぬし)…「日本書紀」にみえる豪族のひとつ。三輪(みわ)氏の祖。
*5 倭直(やまとのあたい)…椎根津彦を祖とする。のち倭氏
*6 長尾市(ながおち)…市磯長尾市(いちしのながおち)。大倭直の祖。名称の「市磯」は、大和国十市郡の地名(奈良県桜井市池之内付近)とされる。出石神社代々の神官家は長尾家。
*7 穴栗邑…兵庫県宍粟市
*8 出浅邑 (いでさのむら)…「ヒボコは宇頭(ウズ)の川底(揖保川河口)に来て…剣でこれをかき回して宿った。」とあるので、淡路島南部 鳴門の渦潮付近か?
*9 出嶋(イズシマ)…兵庫県豊岡市出石町の今の伊豆・嶋。イズシマから訛ってイズシになったのかも知れない。または、出石の古名である御出石(ミズシ・水石とも書いた)をさすのかも知れない。
広告を非表示にする