但馬国ねっと風土記

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筑紫紀行 巻九より 4 気多郡へ

ニ、三丁行けば(気多郡)岩中村。農家三、四十軒あり。引き続いて宵田町。(小田村よりここまで一里半) 上中下の三町あり。商家・宿屋・茶屋あり。町の中通に溝川あり。

引き続きて江原村。人家百四、五十軒。茶屋あり。商家多く酒造の家あり。 二丁ばかりゆけば日置村。農家四、五十軒あり。

さて神名帳に但馬多気郡(※気多郡の誤り)日置神社とあるは、この村にあらざるなり。二丁ばかり行ば、伊福(いふ)村(今の鶴岡)。(宵田より是まで半里)農家四五十軒。商家茶屋あり。宿屋なし。

四五丁行ば土居村。村ながら町にて。人家七八十軒。商家多く茶屋なし。町の中通に溝川あり。引き続きて手邊(てなべ)。(伊福村より是まで半里に近し)人家百軒計あり。商家多し。

十丁計行は水生(みずのう)村。岩山の裾なり。十四、五軒あり。岩の下より冷なる清水流れ出る。その水にてところてん・索麺(素麺か?)を冷やし売る。其の清水の上の岩に小さき穴ありて。奥底測られず。此の穴を隠れ里といひて。穴の中には白鼠あまた住むといへり。

これより山の尾を廻りて四五丁ゆけば納屋村。人家三四十軒。茶屋宿屋あり。

是より湯島へ向けて川舟に乗らんとて。(若しくは陸地をゆくときは。佐野村、九日村、豊岡と経歴し行んといふ)船宿藍屋勘十郎といふに入て船を出さしむ。船賃の定まりは借切一人乗り二百八十文。人数五人を限りとす。駕籠は二人に準ず。挟箱同じ。屋形賃四十文なり。人数五人に過る時は。其の過ぎたる人数の賃を増す。二人乗りも此格好にて賃を倍するなり。船の形状海船のごとし。かくて打ち乗り行くに。

*1丁(1町)=約109.09m、1里=約3927.2m
 *変体仮名、続き文字等で難解な箇所は□で記す
 『筑紫紀行』巻1-10  巻9
 吉田 重房(菱屋翁) 著 名古屋(尾張) : 東壁堂 文化3[1806] /早稲田大学図書館ホームページより
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